M1 Memories

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何年も前みたいな写真を見返している。ミッション1は地震と津波が起きてから1か月たたないうちに実現した。それはたった何か月前のことだった。時がたつのはなんて早いんだろう。

今でも和歌山から東北に向けてドライブしたのを覚えているよ。僕は時差ぼけで、怖くて、戦争か何かに行くような気持ちだった。でも富士山を見たら、すっごく安心したんだ。

ミッション1、2、3は凍えるほど寒かった。ハワイから来た僕は、デッカい冷蔵庫の中に閉じこめられたみたいだった。アイスキャンディーになるかも知れないって考えながら車の中で寝た事は絶対に忘れない。

僕らはハワイや日本からのみんなからのサポートに圧倒された。ミッションが始まる3日前にブログで寄付を募ったのに、反響はすごかった。3台のバンに全部が収まりきらないほどだったんだ。もう一度、みんなそれぞれにお礼を言いたい。

みんな出来る限りのものを寄付するために遠くから来てくれた。彼らが貯金箱を空っぽにしてくれた時、僕は泣きそうだったよ。

東北に向かう日の前日のディナーは、変だった。多くが不透明で不安だったし、これから何を見るのか誰も知らず、放射能について何も分からなかった。僕はみんなに、”ねぇ、僕らは支援が必要な場所に行くんだ。放射能があろうとなかろうと、僕らは行く。だからもし参加したくないなら、今が最後のチャンスだ”と話したのを覚えてる。誰も離脱しなかった。そしてこれが7人の勇敢なミッション1のボランティアだよ。

ミッション1以来、僕は放射能について多くを学んだ。1つ目は、目に見えないってこと。2つめは、匂いがしないってこと。3つ目は、検出した時は既にその中にいるってことだ。みんながあの夜、駐車場でぐっすり眠れたとは思えないよ。
** 僕らは、全てが元通りになるまで、このミッションを続けていくことを約束する。もし何か支援したいことがあれば、僕に連絡をください。aloha.

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide