土曜日 1月16日 2021年
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ついにサーフィンがオリンピック競技へ! 『第一回アジアビーチゲームス』開催! 

 「アジアオリンピック評議会(OCA)」は、2008年10月18日~10月26日までの9日間にわたり、ビーチスポーツの祭典となる『第一回アジアビーチゲームス』を、「インドネシア・バリ島」において開催することを表明した。

 このイベントは、合計で18種目にもなるアジア最大のビーチゲームの祭典であり、「トライアスロン」・「ビーチバレー」・「ビーチサッカー」などの競技に加え、ついにサーフィンがオリンピック競技種目として認定された! 
 今年8月、福島県の「北泉ビーチ」」にて、「2008全日本アマチュアサーフィン選手権大会」が開催され、この大会は『第一回アジアビーチゲームス』の代表選手の選考大会にもなった。

 その結果、ショートボードの「メン」・「シニア」・「ウィメン」と、ロングボードの「メン」クラスの中から、サーフィン史上初となる8名の「アジアオリンピック日本代表選手」が決定した! 
地元、静岡県下田市「石井直樹」市長へ、メダリストへの意欲を誓う「ショートボード・メン」代表「槙野明弘」
 「ショートボード・メン」に、静岡伊豆「槙野明弘」・東京多摩「加藤修平」・福島一区「鈴木重紀」・九州宮崎「黒木雄一」の4名が選ばれ、「ショートボード・ウィメン」に、湘南茅ヶ崎「清永亜希子」・福島一区「阿住聡子」の2名が選ばれ、「ロングボード・メン」に、青森「久保龍一」・三重「森本雄大」の2名が選ばれた。
 8名のアジアオリンピック代表選手のうち、「ショートボード・メン」の代表の座を勝ち得た「日本サーフィン連盟静岡伊豆支部」の「槙野明弘」は、彼の地元である静岡県下田市役所の「市長室」に招かれ、地元メディアのフラッシュを浴びながら下田市の「石井直樹」市長と固い握手を交わし、「絶対にメダルを取って地元へ帰ってきます!」とメダリストへの強い意気込みを誓った。
地元メディアのフラッシュを浴びる「槙野明弘」

 彼ら8名のサーフィン日本代表選手は、「JADA(日本アンチ・ドーピング機構)の審査をすべてクリアし、「日本オリンピック評議会(JOC)」を通じて正式に『第一回アジアビーチゲームス』の「日本選手団の一員」へと迎え入れられた! 
 そして、サーフィン日本代表選手を含む「日本選手団一行」は、10月16日に日本を発ち現地の「選手村」へと入る予定になっている。
 サーフィンの歴史はあまりにも古く、「海の民」と呼ばれる「古代ポリネシア」の人々が、西暦400年頃にはサーフィン(サーフィンの原型のようなもの)を始めていたと言われる。
 その後、ヨーロッパ人で初めてサーフィンを目撃したイギリス人の探検家である「ジェームス・クック船長」は、タヒチとハワイでサーフィンを目撃したことを航海日誌につづった。しかし、その結果ポリネシアの島々にヨーロッパの文化・宗教が押し寄せ、宣教師などによってサーフィンすることを禁じられ、古代サーフィンは終息することになる。
 しかし、1900年に入るとハワイで再びサーフィンを始める動きが現れた。宣教師などはこの動きを阻止しようとしたものの「ワイキキ」の海岸だけはこれを黙認し、水泳自由形100メートルの種目において17年間も世界新記録を保持し、「近代サーフィンの父」とも呼ばれる「デューク・カハナモク」と、ワイキキからのサーフィン文化を「カリフォルニア」へと伝え、カリフォルニアで最初のライフガードとなり、日本人漁師を7名も救助した「ジョージ・フリース」という偉大な2名の人物が、ハワイ・カリフォルニア・オーストラリアなどにおいて素晴らしいサーフィンの普及に努めた。
 その後、サーフィンはさまざまな進化を遂げながら数多くの偉大なサーフヒーローたちを世に生み、変わることのない「サーファーのソウル」を伝えつつ現代サーフィンにまで至っている。
 大自然と共有するサーフィンという素晴らしいスポーツには、はてしなく長く・素晴らしい歴史があるのだ。
 
 2008年10月、西暦400年から数えると途方もない長い年月が経過したが、地球の心臓に近い「波の宝庫」と呼ばれる赤道直下の熱い国において、長く素晴らしいサーフィンの歴史に新たな1ページが加わる日になるであろう。
 みんなで「Team Japan」を応援しよう! がんばれニッポン!

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