被災地仙台で復興活動を行うプロボディボーダー 角田恵 独占インタビュー

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東日本大震災で想像を超えた被害を受けた宮城県仙台。その仙台を拠点に活動を行っていたプロボディボーダー角田恵 は、震災後、自分に今何が出来るかを自問自答し、海の学校のボランティアメンバー達と、『夏祭りをしよう!』という結論に達した。7/23(土)七ヶ浜国際村で開催されたで『Wa-Syoi 2011 七ヶ浜の夏』は GO NAMINORI も参加させてもらい、総勢3000人規模の大きなイベントとなり、被災地の子供達にとって楽しく忘れられない一日になったことは、参加者の顔を見れば誰もが感じ取る事ができた。復興の希望の光となったこのイベントを代表として皆をまとめ、沈んでいた被災地の空気を一新させ、参加者全員を『EVERYBODY HAPPY』 にさせた、角田 恵 プロに インタビューを行った。

イベント告知:12月17日(土) 七ヶ浜で行う親子向けイベント「HappySmile☆未来教室」開催予定!
PHOTO : Slow Surf , KIRBY FUKUNAGA   TEXT : NAOKA NAKAHARA

INTERVIEW
Q1:ボディーボードを初めたきっかけを教えてください。
高校3年生だった当時、サーフファッションが全盛期に流行っていて、その流れでサーフィンとかボディボードを実際に始める人も多かったんです。「ボディボード始めない!?」と誘う友達にイメージだけで誘われるがままに道具を揃えました。どういうスタイルで、どんな風に乗るのかも知らなかったんです(笑)なので、一番初めの頃は、フィンを付けるのとかカッコ悪いと思っていて、そのまま裸足でボードにつかまって海水浴場で浮輪と同格に使っていました(恥)本格的にボディボードをやったのは翌年からで、初めて見たビデオはハワイとかのハードな ボディボードでした。横に滑れるようになるのには、一緒に始めた友達の中で一番遅くて、3か月くらいかかりました。
Q2:プロボディボーダー人生で心に残っている波を3つ教えてください。

一つは、コンテストで行ったポルトガル、シントラプロ前日の8FTくらいのシントラのショアブレイク。ありえなかっ た。メンズコンテストが行われていたので見ていたのですが、「これで私達明日コンテストなの!?」という見たこともないくらいのサイズの大きなショアブレイク。でも、メンズ選手は凄技を連発して自分からあのでっかくて厚いショアブレイクへプルインもしくはアクション。勇気をふるい立たせ、佐伯陽子プロと練習に入りに行った波。もう一つは、FLIPPER取材で行った福井の波。日本海の海は暗いイメージで厳しい表情しか想像していなかったのですが、朝もやが太陽に負けて海に光を落したとたん、NORTHのエフカイビーチで波乗りしているような常夏色になっていました。一緒に撮影に行っていたやっちゃん(柴田泰之プロ)もカメラマンのTAさんもおんなじ風に思ったみたいで、みんなテンションアップしてしまったチューブの波。もう一つと考えたら、あまりにもいっぱいあって3つでは足りなくなってしまいました。友達と行った旅先の波、ローカ ルの方が守っているポイントに招いてもらい、お邪魔させてもらった波、仙台新港の台風の波、、、、たくさん心に残っています。
Q3:仙台で活動をしていますが、3月11日 は、どこで何をしていましたか?
3月11日。地震が起こったその時間は、締切近かったボディボード誌FLIPPERの原稿を書いていたので、一人自宅にいました。大きな横揺れに続いて、タンスやテーブルが跳ねるほどの縦揺れ、そしてまた横揺れ。2階の部屋のベランダと部屋のところに立っていましたが、近くのお家の屋根瓦がバラバラと落ちてくる音と揺れる電信柱。このまま全部が壊れてしまうのではないかと思うほど長い揺れでした。町中に大きなサイレンの音が響き、余震が続く中、思いつく最少の荷物を車に乗せて(猫達も連れて行きたかったのですが、すっかり隠れてしまい探せなかった)高台にある七ヶ浜国際村へ。絶対に津波が来ると感じましいたが、まさかここまでのことになろうとはもちろん想像もつきませんでした。ケータイもつながらず、家への道も通行不可。国際村の中に入ると、自家発電でテレビが付いていて、津波が町を押し流して行く様子が映っていました。集まっていた町の人はみな茫然としていました。とにかく今日はここで様子をみようと車に泊まることにして、眠れない夜の間にハワイの原稿を書いていました。街頭の明かりもない夜は驚くほど星がきれいに輝いていました。

Q4:震災後、どういう状況で何を感じましたか?
今まで経験したことのないたくさんのことが目の前に起こり、感じること、考えさせられることがとにかくたくさんありました。電気のない日々に感じた太陽の明るさ、月の明るさ。今までの生活の中で、いかに楽を求め、無駄がたくさんあったか。ボランティアセンターで活躍する中高生達に助け合える明るい未来を感じたこと。一番最低限の緊急状態から出た時に、次に個々が求めたこと。どんなに発展しても自然にはかなわないということ。たくさんの電話やメール、物資などをいただき、改めて多くの人に支えられて生きていることも感じました。特に印象強く感じたことと言えば、震災から3日後、初めて海を見に行った時のこと。海を見たいと強く思っていたから、家から自転車に乗って海まで下りて、瓦礫がよけられただけの道を通り、海に出た。道も、街も、砂浜もぐちゃぐちゃで、砂浜に打ち上げられたコンテナに驚きながらも、ほとんどフラットに近い穏やかな海にすごくほっとした私。海はここにあった。こんな状況の中でも、海は私を癒してくれようとキラキラをいっぱい出しているように見えました。たくさんのモノをのみこんで、海も傷ついているのに、みんなに怖がられて嫌な眼で見られている。なんだかとても愛おしく思えました。そして、私 の好きな海をみんなに嫌いになって欲しくないと強く思いました。
Q5:7月に代表として開催した『Wa-syoi~2011七ヶ浜の夏!』をやろう。と決めた動機を教えてください。

以前から神奈川を中心に活動をしている海の学校(海の楽しさや危険、自然と触れることと、人とふれあう時間を大切に した親子マリンスポーツ体験教室などを行っています)をお手伝いさせてもらっていて、前年2010年に初めて宮城で、七ヶ浜 の菖蒲田海岸で教室を開催したんです。参加された方、スタッフなどからも好評で、今年(2011年)も開催する準備を実は震災前から始めていました。そこに起こった震災と津波で海での行事はどこも中止、「今年は海の学校ができなくなってし まった」と落ち込んでいました。そんなところに、3月末、4月と、海の学校のメンバーが七ヶ浜にボランティアに20人くらいで来てくれたんです。顔 を見れるだけでも嬉しいものでしたが、災害ボランティアに参加いただき、現状をいろいろ感じてくれました。そんな中で、海は ダメだけど子供達に何かしたいと海学スタッフの中で話が盛り上がり、「夏祭りをしよう!」とたどり着いた感じです。仙台で協力してくれそうな人に連絡をして、メンバーが集まり4カ月の準備で当日を迎えました。

Q6:Wa-syoi~2011七ヶ浜の夏! の開催後、一番感じた事は何ですか?
当日は予想以上の人が来てくださって、てんてこ舞いなくらいでした(笑)めちゃくちゃ嬉しかったです。そして、来場 者だけでなく、参加してくれたスタッフ、応援に来てくれた団体、出店やステージで力をかしてくださった方々、来られなくても 想いを届け、寄せてくれた全国の方々など、とても多くの人の気持ちが集まることを感じることのできるあったかい時間と空間で した。子供も笑顔、大人も笑顔。あの日の空気は一生忘れないと思います。

Q7:震災後仙台の海、サーフポイントはどうなっていますか?
一番のメジャースポットだった仙台新港は今もまだ警備員が入口に立ち、立ち入り禁止になっています。聞いている話で は、地盤沈下でビーチまで伸びていた階段の下段部分が削られ、今までの入り口が崖のようになってしまっているもようです。家から一番近い菖蒲田ポイントは、特に出入りの制限がなく、海を見に来た人の安らぎの場所になっていました。入れな くても海を見るだけで落ち込んだ気持ちが少し回復します。地元のサーファーの熱い思いが少しづつですが道を開き、瓦礫の撤 去、コンテナや船などの大物の撤去、海岸清掃と公園作りなど海を受け入れる体制ができ始め、11月11日にセレモニーを行い、 サーフィンを再開することになっています。これは、新たな一歩だと思います。

Q8:今後の復興活動とボディボーダーとしての展望を教えてください。
復興活動としては、東北もこれから長く続くことですし、それ以外の日本や世界中で新たに起こりうる事故や災害を考え るときっとエンドレスなことになってしまうのではないかと思います。だから、いつまでも続けていけるスタンスを持ち続けられ るように、“やれること”を“やれる時”に“やれる人”ができたらいいと思います。私は自分が楽しみながらできるスタンスで の活動を続けていきたいと思います。ボディボーダーとしては、しばらく海を離れてしまい寂しい限りです。海に入りたい時に入れる環境を求めたい気持ちも たっぷりありますが、また多くの人が笑顔で安心して海に入れるようなことに協力できたらと思います。そして、もっともっと海 を知り、新たな人達に海の魅力、海からもらう不思議な力を伝えたいです。

Q9:夢を教えてください。
みんな幸せなこと。きれいな海と一緒に毎日生活すること。
角田 恵 – MEGUMI TSUNODA 
1976年9月生まれ 宮城県在住 BB歴:18年 プロファイル:さらにボディボードが好きになっている今日この頃 この面白さをより多くの人に伝え体感してもらいたいと思っています。
BODYBOARD is My Life!
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-夏祭り-『Wa-Syoi 2011 七ヶ浜の夏』
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