僕らはミッション4でナオミさんに出会った。彼女は親切で、自宅を開放してくれただけでなく、彼女の気持ちや彼女のストーリーをチームにオープンにしてくれた。今までの中で、そのときはつらい日々だった。そのストーリーを聞くと、まるで3月11日にそこにいたような気持ちになり、感情が不安定になった。身が凍るような日、被災者に襲いかかった日々。鳥肌が立ち、涙が流れるのを隠してたけど、その時の鋭い心の痛みは今日この日までずっと僕の中にある。いつもその時の事を考えるけれど、真夜中に思い浮かべると全然寝られなくなるんだ。実際に生き残ったひとの、真実のストーリー。
ナオミさんとリョーコさんは僕らを小学校に連れて行ってくれた。そこは屋根までが破壊されていた。教室の中のものが全て流されて空っぽで、がれきがあちこちにあり、そこを通って歩くのは不気味な感じだった。まさに言葉を失ってしまった。
この教室で、かつて子供たちが勉強していたって信じられる?そして、津波が襲ったその時、学校は授業中だったなんて信じられる?
この話がすごくなるのはここから。ナオミさんの息子は、津波が来たとき、この学校にいた。彼と子供のグループ、先生は屋根まで登った。水は12mもの高さまでやって来て、唯一安全なのはその場所だけだった。そこが安全だってみんな分かってたのだろうか?いや、それはただの偶然で、きっと神様が子供たちを見守ってくれていたんだと思う。その日は雪が降っていて、そこは電気もなく、暗くて寒くて、きっとすごく怖かったに違いない。彼らはみんなで身を寄せて温まるようにして、助けが来る日を待ったそうだ。この小学校から見えるビルは全て、上から下まで完全に壊滅状態だった。
幸い、先生がポケットにライターを持っていたおかげで、それを火をおこすのに使い、日本で一番寒かった夜を一晩、温かく過ごした。椅子が見えるでしょ?それは当時のまま残されているもの。彼らが救助されたとき、誰もそれに触れなかった。そして僕がこの写真を撮ったとき、背筋がゾッとするようなものを感じた。僕らはみんな何も言えなかった。だんだん状況がリアルになった。
こちらは僕のヒーロー、ミナミくん。10歳のこの勇気ある子が、世界の歴史上でも恐ろしい出来事のひとつを体験した。何日か後、ミナミ君は母親に話した。「ママ、もう、これからは絶対に泣かないよ」と。僕らは木村さんの家で一緒に夜を過ごした。この子の目を見ると自分を強い人間にしてくれる気がした。この子のことを考えるといつも悲しくなることは、ミナミ君の父親がまだ行方不明だということだ。そして小学校のクラスメイトも何人かはまだ行方不明だ。
もし君が、人生は辛いと思っているなら、もう一度考えてみて欲しい。