Mount Fuji: 30 years later….

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どうして僕が富士山に登りたかったって?何日も足に痛みを感じる為?違うよ。誰かに感心してもらう為?違う。自分のブログの為?違う。本当のストーリーはこうだ。。。

僕のおじいちゃんとおばあちゃんは1979年に富士山に登った。彼らがハワイに帰ってきてから自分達の成し遂げた事を誇り、富士山の四季の写真と一緒に彼らの杖をテレビの上に飾っていた。僕らは毎週日曜におじいちゃん達の家にディナーを食べによく行っていて、いつもおじいちゃん達は何度も富士山の話をしてくれた。当時僕はまだ子供で大人になるにつれ富士登山に興味が出てきた。今年は僕にとって実行の年でスケジュール、天候、台風、自分の肩の調子を見守ってきた。そしてその日が来て僕は準備万端。この30年僕のおじいちゃん達が僕に体験して欲しかった事をする準備がやっとできた。それは富士登山だ。。。

おじいちゃんの杖の写真。1979年7月21ー22日とある。だからぴったり30年後の夏だったから今年がその年だと僕は思った。。。

登り始めたら最初に杖を探した。おばあちゃんが持ってたのと同じ日本の国旗がついてる杖。そしてそれからやることは決まってる。30年分の説明が頭にしっかり入ってる。”カービー、私たちのみたいな杖を買うのを忘れずに、そして各場所で焼き印をして杖は絶対忘れずに持って帰ってくるんだよ。”登りながらなんだか前にも来たような気分だった。おじいちゃん達が説明してくれた通りだったから。。。

普通の人にはこの焼き印はあまり意味がないかもしれない。でも僕にとっては深い意味がある。まるで自分の祖父母の足跡を一歩一歩ついていく気分だ。そしてそれはとても気分がいい。。。

今、僕の人生でも大きな達成を成し、この記憶をすべてエンジョイする番だ。富士山からおじいちゃんに電話したらおじいちゃんは僕を誇らしいと言ってくれた。僕にとってこれは大切な事だ。そして”カービー、ハワイまでの帰りに杖をなくさないようにな。”とも言ってくれた。。。。おじいちゃん、この杖は僕にとって大きな意味があるよ。この杖は命がけで守るよ。家に持って帰って見せてあげるね。そして僕のテレビの隣に一生飾っておく。僕の家に来る子供達に何度でも僕の富士登山の話をするよ。彼らが僕の後に続くまで。次の世代へつなげていく。これが僕の使命だ!!!
なので僕は富士山に登りました。僕の祖父母の為に。そして祖父母の為じゃなければきっとこんなクレイジーな事を実行するなんて思いもしなかったかも。。。
福永のおじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。僕が生まれてからずっとくれてる勇気、サポート、そして愛をありがとう。。。

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide