昔の雑誌を眺めていてこのsurf1stの中の記事に眼が止まった。思い出がよみがえる。去年の事だけどずっと昔のようだ。写真ボケてて申し訳ないけど僕の携帯カメラは良く無い。新しい携帯ならベターになると思うけど。ボケててもわかるよね。。。
これは”ショットガン”と呼ばれる場所で千葉にある。行った事も無かったしブレイクしたとこを見た事も無かったけどここの話は良く聞いていた。クレイジーで、6’の日にケリー・スレーターがパドルアウトしてバレルをゲットし、いくつかの波は不可能なものだったとも聞いたことがある。日本の歴史に残るようなビッグウェーブの日の早朝にそこへ行くと波は10−15’でほれていた。メキシコかからずっと日本まで来たでかい台風覚えてる?そう、それ。とにかく日本のビッグウェーバー、ミサオ・タコと共にジェットスキーの後ろに乗って降ろしてもらった。水平線からでかい山が巻いてくるのがまだ暗い中で見えた。僕ら二人対太平洋だ。タコさんは最初の15分で板が折れてしまいジェットスキーが来て彼を連れて戻った。そしてとうとう僕一人と8’6がラインナップに残された。怖かったかって?怖いよ。いつもなら怖いなんて思わないけどこの日は異国のそれも初めてサーフする場所で、しかも波はどんどん大きくなっていく。僕はそこで一人で40分程いたけど何時間にも感じた。なんとか数本乗って慣れ始めてきた。しばらくして千葉ボーイズ達がみんなパドルアウトしてきてとてもクールだった。おもしろい事に波が小さい時はみんな待ってる間しゃべってるけど、波がでかい時はみんな無口だ。だからそこは沈黙だった。信じられないようなセッションをして数人はものすごいのをゲットし、そしてキンさんはジェットスキーの上で写真を撮っていた。天気もよくなりクリーンになったのでみんなハッピーになってきた。。。
その日の最後の波を深い所で待っていた。突然みんなショルダーへパドルし始め命をかけて波とレースをし始めた。最初のスウェルの後ろが何が来てるのか僕には見えなかったけどそれを乗り越えた後、oh shit!!!15’以上のフリークセットがアウトサイドで凹んでいて僕はできるだけ早くアウトサイドへパドルアウトして行った。不幸にも波は僕の頭の上で割れ僕はボードを捨てて潜った。リーシュは切れボードは半分に折れた。そしてあと3つ波が僕の頭の上で割れた。最悪だ!!!他の人もみんなクリーンアップされそうになり周りは折れたボードやびびったサーファー達が散らばった。僕はアウトサイドへ泳いで行きジェットスキーに拾ってもらい上がった。これが日本での僕にとって今までで一番大きくてクレイジーな波だった。もしあの日また入るかと聞かれたらきっと”とんでもない”と答えてただろう。でも今こうして振り返ってみるとまたやりたい。次はもっと長い板と大きな勇気を持って。キンさんがこの日の写真を撮ってくれた。この写真のサーフボード見て。これは10’の長さだからどれだけ波がでかくて分厚かったかわかるよね。。。
この日の前日、このインサイドリーフでサーフィンして波は8’くらいだった。湾の外は15’程の波がブレイクしていて誰も今までサーフした事ないと聞いた。きっと波の目の前が150フィートの崖だから?とにかく勇人と僕はジェットスキーに飛び乗ってチェックしに行った。トライして1本のってみようとセットの間に降ろしてもらった。波がブレイクしてなかったのでラインナップへパドルして行った。勇人が”僕らインサイドすいじゃない”と言うので”そうだね”と言おうとしたときこのどでかいセットが入ってきて目の前で割れた。僕らは飲まれそれでおしまい。今度からもっと気をつけないと。でも本当にこの2日間は忘れられないよ。。。