Tohoku Elementary Schools Revisited

178

朝4時のgood morning。かなりジェットラグ。日本に来て2日経つけど、昼間が夜で、夜が昼みたいだ。日本にいる他のみんなが寝てるのが変な感じ。僕は明日帰るから最終日は無駄にしないようにしよう。小渕浜に行くから、状況が良くなったところやハッピースマイルが見られるといいな。
photo 1
ハワイを発つ前にKITVのララ・ヤマダニュースのインタビューがあって“今の日本はどう?”と聞かれた。僕は“復興した場所もあるけど、今も震災当時ままの場所もある”と答えた。
今、石巻にいるけど、前は何千軒もの建物が倒壊していた。アズミさんのサーフショップを含めて。約2年後の今は、もう何も残っていない。僕らチームは今までの7回ここに来るたびにダメージを見ては心が痛んだ。
photo 5
その後北上まで海岸線を1時間ドライブした。ここも以前は倒壊した建物が残っている。3.11以降に唯一建ったのはthe We Are One Market! 左の建物を見てよ!あれは”HOPE”のシンボル。
photo 1
街のなかを通っても、まだダメージが分かる。この場所を離れて二度と戻らないことを決めた人もいる。
photo 3 copy
大川小学校に行くといつも心が痛む。津波が来て、89人の生徒と先生が亡くなった。彼らが学校で何をしようとしてたのか分からないけど、ここを通る度、残念に思う。
photo 2
誰かが子供たちのためにクリスマスツリーを設置していた。そしてここには子供たちが夜でも見えるようにとソーラーのライトもある。ある場所に来て、こんなにたくさんのスピリッツを感じたことはない。
photo 2
車から降りて分かれても、みんな同じことを考えていた。“Why”と。僕と一緒にいたマツもここに初めて来た時、何が起きたか知れば知るほど気持ちが辛くなるようだった。
photo 3 copy
this wall that survived the tsunami says it all. “We Are One.”
photo 4
from Hawaii with love.
photo 4
その後、海岸線にぽつんと建つミナミくんの小学校へ行った。周りは全て壊滅していて何も無かった。ここの学校にも逃げるのに間に合わなかった生徒がいる。屋根の上まで津波が来たことを考えても、理解しがたい。もうすぐ2年が経つけど、ここを通り過ぎると毎回、あの悲惨な日に何が起きたのか思い出す。僕にとっては嬉しい出来事じゃないけど、もしハワイに津波が来たらどうなるんだろうと何回も何回も考えてしまう。耐えられない。
これから牡鹿半島に向かって運転する。どんな感じかもう分かってるよ。人のいないちいさな島には答えの無いクエスチョンがいまだにたくさん残ってる。世界中のみんな、これが当たり前と思ってるなら、もう一度考えて欲しい。人々は前に進もうとしているのに、全然復興していない場所があるなんて悲しい。ハワイに帰ると複雑な気分になる。きっとこの気持ちはしばらく続くだろうな。時々、僕がマジシャンで、指をパチリと鳴らせば全てがノーマルに戻せたら良いのにって考えるよ。今日は落ち込んでいてごめん。でもこんな気持ちはきっと今だけだと思う。

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide