時々僕がどうしてこんなに日本で知り合いが多いのか考える。鍵となってる人が数人いてキンさんはそのうちの1人。1992年の宮崎でのASP コンテストで僕はその日早く負けてしまい夜のナイトライフを探索しに行った。うるさいバーに入ると妙な匂いがした。髪の毛が焼けたような匂い。そして日本人の男が僕に近寄ってきて“hey, what’s up brah?” と言った。それがキンさんだった。
それからどこに行ってもキンさんに会う。そしてみんなから彼が日本のベストなサーフィンフォトグラファーだと言っていた。当時はキンさんは世界のトップエリートサーファーだけ撮っていた。雑誌surfing world を見てそこに自分が載る事を夢見た。
そして4年後、僕は 8-10′ のサンセットでサーフしていて波からキックアウトされた後キンさんがチャンネルで撮っていたのを見た。僕らは話をしていると彼が”来月のタヒチトリップにまだ空きがあるから行く?”と言ってきた。え?僕?彼は”そうだよ。君と糟谷修自と大野マー。”僕はその後すぐに上がったのを覚えてる。何故って?ケガしたら人生のチャンスが無駄になるから。エキサイトしながら家に帰ってスポンサーに電話した。スポンサーから了解を得てそれからはヒストリー。welcome to kinsan’s world….
それからキンさんとは世界のいろんな所を旅した。そして今まで彼を通してたくさんの人と知り合った。彼を通して素晴らしい人達と知り合えた事に感謝している。男同士ではあまりこんな事は言わないけど、僕は言わせてもらう。”キンさん、僕のたくさんの夢を叶えてくれてありがとう。 そしてキンさんの回りのたくさんのワンダフルな人達と繋げてくれてありがとう。この写真はキンさんのワイルド面。何度も目にしていてどんどん面白くなってく。。。