いま、家のクリーニングの真っ最中。もう、それほど物が必要じゃないと気づいたから、いろんなものを捨ててる。捨ててもいいやっていうものでも、思い出がある。なくしてしまうのは辛いけど、いつも心の中にイメージは残るだろう。
僕のキャリアにビッグなインパクトを与えた2つの雑誌のカバー。ゴミ箱に捨ててしまうまえに、写真を撮っておこうと思った。
1993年、僕は日本では無名だった。あんまり知り合いがいなかったし、僕を知ってる人もいなかった。僕はよくヘビーなローカルサーフポイントに行っては、嫌がらせされてた。でも、僕は日本のベストウェーブでサーフすることにギブアップしなかった。僕は、受け入れられるまで、何度も通い続けた。これは、このポイントに行った特別な1993年7月26日。湾のアウトサイドには巨大な台風が上陸していて、雨が降り、ストーミーで、波は巨大でデンジャラス、誰もいなかった。まさに命がけ。パドルアウトして、人生最高の波1本をキャッチした。後は知っての通り。
このカバーショットがSurfing Lifeに乗り、僕のサーフィンキャリアがスタートした。誰も僕の名前を発音できなかったし、書けなかったけど、どうでもよかった。これこそが、僕の日本でのファーストマークだったし、サーフィンキャリアのスタートになったから。
藤沢さん、雨の中、写真を撮影してくれていてありがとうございました。そして、こんな外国人にチャンスをくれたSurfing Lifeにも感謝しています。
これも、僕の人生にビッグなインパクトを与えた。モデリングジョブって呼んでる。僕はモデルじゃなかったから、どうやってモデルっぽくすればいいか分からなかった。日本から来たフォトグラファー、コーディネーター、リフレクター、スタイリスト、メイクアップアーティストなどのたくさんのスタッフと一緒にアイランド中で撮影した。この日はいろんな友達が見に来ていたから、かなり恥ずかしかったよ。2人のビューティフルガールズの側に立ってるアホみたいな感じ。マリア・ジョーンズもクミコも超有名なモデル。僕はかなり緊張していてバカみたいだったけど、その日の終わりに給料をもらったら、ハッピーマンになった。一日中、2人のビューティフルガールズの間に立ってて、給料もらえるの?マジ?
マナブ・ノモトさん、撮影ありがとうございました。こんなアマチュアをつかってくれたSOS Street Magazineにも感謝です。
24年間、日本にいろんなメディアがあるおかけで、僕はサーファーとしての夢に生きることができてるんだ!
何年間も僕をサポートしてくれている皆様、ありがとうございます。mahalo from hawaii!