過去2回のミッションで僕らはどこが一番隔絶されていて、被害が大きいか調べてきた。支援がたくさん来ている場所もあれば、おざなりになっている場所もあった。牡鹿半島には、海岸線に10以上の漁村があって、その全てが波に飲みこまれた。美しい海岸線をドライブすることは、心が張り裂けそうだった。このポイントAは小渕浜と呼ばれる場所だ。僕らはここに到着して物資を降ろし、初めてのボランティアとなった。地震から5週間後だよ!!! 400人の人がそこで暮らしていて、道が寸断されたために2週間も物資が届かなかったそうだ。電気も、水道もなく、電話もつながらない。僕は来週の火曜日にそこに行くけど、前回行ったときよりも事態が良くなっているといいと思ってる。
これはKITVが僕らを特集して写してくれたビデオだ。真ん中の集落が見える?そこは幸いなことに丘の上にあったおかげで、津波を免れたんだ。町のほとんどは全部飲み込まれた。僕らはそこに住む人に”どうして避難所には行かず、ここにいるのですか?”と聞いた。彼らは”僕らは行方が分からない愛する家族が見つかったり、家に戻ってくるのをみんな待っている。そして戻って来た時のために、ここに居なければいけないんだ”と答えた。水もでない、電気もない。悲しすぎる。
この場所は十八成浜(くぐなりはま)という場所。通りかかった時、何人かの漁師さんが丘に座っているのが見えたので、立ち止まろうと決めた。5週間がたち、”どうして全てがまだ同じような状況なのでしょうか?”と聞いた。 彼らは、”自衛隊が来て、今も遺体の捜索をしなければいけないから、片付けが始められないんだ”と言った。地震から5週間たってるのに?残念だ。
この町は鮎川浜と呼ばれている。半分がなくなり、半分はこれだ。いくつかの道路の片方がほぼ全部破壊され、もう片方は何の被害もなかった。津波のパワーは信じられないほどだ。僕はこの町を決して忘れないだろう。なぜなら、ミッション2の時、かつてないほど寒い夜にここでキャンプしたから。そこは0度以下の寒さで、僕が寝ていたバンの窓を誰かが閉め忘れていたんだよ。僕は夜の間ずっと凍えるくらい寒かった。次はもっと暑いといいんだけど。