勝又 正彦 - katsumata –

5095

1963年1月26日生まれ、46歳。 主なスポンサー/インセーンサーフボード、クゥイーバーウェットスーツ、ハーレー、ブラックフライ、ヴァンズ、ヴェスタル、ゴリラグリップ、FCSなど。
面白いことをやり続けています。 カッコいいサーファーはいくつになってもカッコいい。勝又まさひこもその一人。派手で人の目をひきつけるトリッキーでアグレッシブなサーフィンアクション。サ ーフスケートをやらせればテクニックとスタイルは超一級。しかもクリエイティブな才能もピカイチで、グラフィック、ファッション、そしてサーフボードシェイ ピングと、どれもが素晴らしく個性的でカッコいい。サーフィン歴はもうすぐ30年。面白いことをやる。勝又正彦のかっこよさはシンプルだった。

Q : 今年で何歳になったんですか?サーフ歴は?
今年の1月で46歳になりました。サーフィンは17歳の夏からだから29年目ですね。
Q : 小学校時代はどんな子供だったんですか?
運動は得意でローラースケートは学校でトップ。だけど実は人見知りで、話し下手で、人とのコミュニケーションが下手なんですよ。幼稚園時代は近所の兄ちゃん達の後をついていって田んぼや空き地で遊びながら、ローラースケートではホイップでブンブン飛ばされて鍛えられてたんで、小学校ではすぐに上級生を押しのけるようになってた。でも物を作るのも好きだったんですよ。プラモデルが好きで6年生にはラジコンまで手を出し、飛行機は失敗して壊したりお金もかかるからしなかったけど、かわりにバギーを辻堂海浜公園の芝生で走らせてた。同じ公園の中の池では潜水艦が浮かんでこなくなったり、軍艦とかも沈めましたね。ドイツ軍の戦車とかでジオラマも作ったし、自転車でチョッパーも作った。ハンドルとフロントフォークがグーンと長いヤツ。当時は自転車をそんなにイジル奴はいなかったから、自転車屋には嫌われたみたいで空気入れを貸してもらえなかったけど、自分では誰もやっていないカッコいい感じが大事だった。人と同じは嫌。かっこよさにこだわっていた。
Q : ホイップされてブンブン。凄いですね。小学生時代のローラースケートで加速とAirの魅力を知ったんですね。それでサーフィンはいつ頃からなんですか?
高校3年生の夏休みから一気に(笑い)。中3からスケートボードに夢中だった。高3になった時くらいからスケートパークが閉鎖になったりして、スケートボードが下火になってきてたんで、次はサーフィンだと一気に方向が変わっちゃった。面白そうだったし、その当時、一緒にスケーターだった地産ローカルの金沢さんの所に行けばサーフィン出来るというのを知ってからは毎日金沢さんの家に入り浸り。金沢さんはファンキーで面白い人で、タイドサーフのマンションがあった、潮路の裏に住んでた。夏が過ぎた頃には乗ればどうにかなるまでにはなったけど、最初は波に乗れないから苦労した。当時の上手い先輩ローカルの皆さんには、いじめられましたけど(笑い)。サーフィンの難しさにのめり込んでいったという感じかな。
Q : プロコンペティターとなってからは、JPSAトップシードでずっと活躍しました。低めに構えてドギューンとカービング&リップする姿が目に焼き付いてます。
プロ合格については長い話になるよ。20歳の時に四国の生見で開催された第19回NSA全日本選手権で1stクラスで優勝して、次はプロだと。その次の年に鵠沼で行なわれたプロテストに狙って出たんですけど、力が入り過ぎて、いい波をキャッチできずに空回りで失敗しちゃった。この時の鵠沼は波が最高で、他の仲間はいい点を出しまくって、俺を除いて20人ぐらい一気に合格した。俺だけ一人おいてけぼり。悔しかった。それで次の年にようやく合格。さすがにホッとしました。で、26歳の時に、ドロップアウトの工場で働いていた友達の天野君の紹介でドロップアウトのライダーになったんです。当時のドロップアウトは糟谷修自さんとシェイパーの阿部さんがタッグを組んでシェイプデザインをどんどんチューンアップし続けていて勢いがついた時だから、そこに加われて俺にもグッドボードが回ってくるようになって、いきなり調子よくなった。波乗りが変わった。そう皆に言われた。そうなると、もっとやってやろうと気合いも入って、気持ちもリズムに乗ってきた。そうしたらランキングもうなぎ上り。最高位はトップ5だったかな。
Q : アクション重視のサーフィンセンスは当時でも充分輝いてましたもんね。しかもサーフィンだけじゃなくて、サーフスケートでは日本屈指の存在だし、さらにファッションリーダーであり、絵やエアブラシアート、シェイピングなど、何でもこなす。器用ですよね。
自分の中のアートな部分はスケートに染まりだした頃に聞きまくったパンクとニューウェイブの影響ですね。パンクだとチェーンとかあるけど、海に行く時は外したりして、その代わりに青の水玉や虎刈りで決めるみたいな。ファッションは気に入ったアイテムを見つけるのが難しかったけど自分で考えるのがいいんです。スケートは陸上のスポーツなんで服を着るからファッションも決めなくちゃ。絵はポップアート的なテイストが好き。カチッとしたかたい感じより自由な絵が好きですね。

Q : スケートの楽しみ方はかわりましたか?
今はスケートパークとかやる場所が増えたんで楽しいよね。それにどんどんレベルアップしてるよ。若い奴らのトリックに負けそう。俺の技にもう一つかぶせてきたりする。でも湘南に自慢できるようなパークがないのは寂しい。地方に行くと自由で大きく面白いパークが出来てる。ボウルとかスロープとか工夫してバリエーションが楽しめるパークを考えて欲しい。波乗りは波が動くけど、スケートは波が動かないんで反復練習が出来る。だからトレーニングに最適なんです。動きがオーソドックスになっては自分で面白くないし、やはりそこはトリッキーに攻めていきたい。実際にそうやってる方がおもしろいんだから。そうした方が見てる方も面白いでしょう。
Q : シェイパーでもあるわけで、インセーンサーフボードをプロデュースしてる。
19歳の時にマーボロイヤルに所属していて、その時にマーボさんと一緒にシェイプルームに入って、テイクダウンとか手伝いをさせてもらいながら、いろいろな注文を聞いてもらってた。マーボさんだけじゃなくて畑さんもいて、どんなことでも細かく自分の言うことを聞いてくれました。物作りが好きだから考えつくかぎり、突拍子もないデザインをわがままいっぱいに作ってもらった。フィンもいろいろなパターンを作った。スケート仲間がエアブラッシャーだったからデザインもこってくれた。マーボロイヤルを辞めた後はホクレアの林さんに世話になり、道具やデザインコンセプトの大切さを学ばせてもらった。とくにロッカーテンプレートの作り方を習ったことでボードディメンションの違いが一目でわかるようになった。次にはザナドゥのシェイプにも驚かされた。アウトラインが左右違うけど速いし動くんです。ロッカーとボトムの造りの素晴らしさが勉強になった。ドロップアウトでは阿部さんを筆頭に、JC、ペーシュ、サドイ、ピーターと、たくさんのグッドシェイパーのボードに乗ることで世界レベルを知ることが出来た。

Q : インセーンサーフボードはどんなコンセプトでプロデュースされてるんですか?
デッキコンケーブと大きいウィングラウンドのアウトラインが最大の特徴で、バリエーションとしてウィングバットテイルとバットテイルの2タイプがあるんです。アウトラインを広めに作ってもデッキコンケーブで余分な浮力は削り取ってあるんで敏感に動くし、レイルに浮力が残っているのでパドリングがスムースでテイクオフも早い。それにデッキコンケーブに足がはまってエアリアルやリッピングのスタンスが決まるだけじゃなくて、てこの原理でレイルに力が入るからちょっとした動きでレイルを使いやすい。若い子と海の中で張り合うにはスペシャルな道具でやるしかない(笑い)。いいサーフボードならばサーフィンやる気出るし、波が小さくても乗れる板があればサーフィンするでしょ。いい板を作っていきたい。
Q : 13歳になる一人娘さんがいるんですね。ファミリーと一緒のときは、どんなパパなんですか?
ごく普通じゃないかな。あんまりパパらしいことはしてないけど楽しい家族ですよ。娘も俺と同じで物を作るのが好きだし。最近はディズニー系アイドル歌手のマイリー・サイラスのファンになったみたい。奥さんはエステ。自分はというと、意外とどこにも行かずサーフィンを楽しんでいる。けっこう普通でしょ。

Q : これからはどんな方向に進んでいきたいんですか?
めちゃくちゃサーフィンやりながら、インセーンをビジネス的にしっかりやっていきたい。そしてサーフスケートの大会運営をこれからも続けていく。大会で育った子供達がサーフィンの大会で目立ってきたり、ASPとかにランキングされたりしたら嬉しい。それから人口リーフとか、海のサーフパークとか、エコとは反対にならないようにサーフィンを取り巻く環境を少しでも良くすることが出来れば嬉しい。まだまだやることはたくさんありますね(笑い)。
取材協力
インタビュー:大森修一
写真:YOGE