Kamakura to Sendai
Jetlag and Jack
日本は今、午前12:30。ハワイ時間午後6時の飛行機に乗り、夕食を食べて目を閉じたら、9時間後には日本に着いていた。長く寝たのにもっと睡眠が必要だよ。今日は水も飲まずに3時間ハイキングしたから、そう思ったのかも。すぐに眠らないといけないのに、明日のことを考えると止まらないよ。鎌倉で3人のボランティアに会い、2台のバンを準備して仙台、東北地方へ向かう。8日間、ハワイに戻って良かった。今、普段の僕に戻っているし、ミッション3への準備も、人をハッピーにする準備も万端だ。今、2杯目のジャックダニエル/コーラをちびちび飲んでて、一日を締めくくろうと思ってる。ミッション1ではナーバスで、ミッション2はちょっとナーバス、今回のミッションはいい気分!東北に行って、道途中で出会った素晴らしい人たちに再会するのが待ち遠しいよ。僕らのバンは明日出発する。僕らは行く先々で昔の友達に会い、新しい友達に出会ったりするだろう。また、寄付が殺到し続けている。心の底からTHANK YOU VERY MUCH! と言いたいよ。僕は幸せだけど、まだ支援に対して気持ちをちゃんと表せないんだ。全ての出来事を見直す時間がない。気持ちを表す時間もないし、振り返る時間もない。僕はただ、先の事を考えるだけだ。今までに見た出来事を振り返れば、僕の人生は変わるだろう。もう振り返らない。ただ、前を見るよ。僕に見えるものは全て、輝く光に満ちた未来なんだ。live happy! good night.
Drive Thru Japan: Oshika Peninsula
過去2回のミッションで僕らはどこが一番隔絶されていて、被害が大きいか調べてきた。支援がたくさん来ている場所もあれば、おざなりになっている場所もあった。牡鹿半島には、海岸線に10以上の漁村があって、その全てが波に飲みこまれた。美しい海岸線をドライブすることは、心が張り裂けそうだった。このポイントAは小渕浜と呼ばれる場所だ。僕らはここに到着して物資を降ろし、初めてのボランティアとなった。地震から5週間後だよ!!! 400人の人がそこで暮らしていて、道が寸断されたために2週間も物資が届かなかったそうだ。電気も、水道もなく、電話もつながらない。僕は来週の火曜日にそこに行くけど、前回行ったときよりも事態が良くなっているといいと思ってる。
これはKITVが僕らを特集して写してくれたビデオだ。真ん中の集落が見える?そこは幸いなことに丘の上にあったおかげで、津波を免れたんだ。町のほとんどは全部飲み込まれた。僕らはそこに住む人に”どうして避難所には行かず、ここにいるのですか?”と聞いた。彼らは”僕らは行方が分からない愛する家族が見つかったり、家に戻ってくるのをみんな待っている。そして戻って来た時のために、ここに居なければいけないんだ”と答えた。水もでない、電気もない。悲しすぎる。
この場所は十八成浜(くぐなりはま)という場所。通りかかった時、何人かの漁師さんが丘に座っているのが見えたので、立ち止まろうと決めた。5週間がたち、”どうして全てがまだ同じような状況なのでしょうか?”と聞いた。 彼らは、”自衛隊が来て、今も遺体の捜索をしなければいけないから、片付けが始められないんだ”と言った。地震から5週間たってるのに?残念だ。
この町は鮎川浜と呼ばれている。半分がなくなり、半分はこれだ。いくつかの道路の片方がほぼ全部破壊され、もう片方は何の被害もなかった。津波のパワーは信じられないほどだ。僕はこの町を決して忘れないだろう。なぜなら、ミッション2の時、かつてないほど寒い夜にここでキャンプしたから。そこは0度以下の寒さで、僕が寝ていたバンの窓を誰かが閉め忘れていたんだよ。僕は夜の間ずっと凍えるくらい寒かった。次はもっと暑いといいんだけど。