Pipeline in the 1980’s

122


高校の放課後、毎日のようにサンディ・ビーチのムネサイズの波でサーフィンしていた。そのサイズが僕のコンフォートゾーンで、ハッピーで満足だった。その後、姉がビッグウェーバーでプロサーファーのトニー・モニーツと付き合い始めた。すぐにトニーは僕を毎日欠かさずノースショアに連れて行くようになった。そこでは超ビッグでクレイジーな波でサーフィンしたものだ。トニーは、僕が10秒以上も息を止められないことなんか気にしなかった。波がデカい日に僕をアウトへ連れ出し、”GO!!!”と言うだけだった。そう、僕はこうしてビッグウェーブでのサーフィンを学んだんだ。ヘビーワイプアウト、何度も溺れかけたり、リーフにスタックしたら、もはや怖いものはなくなった。トニーと一緒にパイプラインのサードリーフにパドルアウトした日々のことを覚えている。トニーはテイクオフしてチューブに入ったが、僕は次から次へと来る波に巻かれていた。でも、僕は諦めなかった。一年後、1988年に開催されたパイプラインでのハワイアンプロコンテストにトニーが僕を出場させた。最初のラウンドの波は15フィートでクローズアウト。インパクトゾーンでずっと波を待ち続けていると、セカンドリーフのクレイジーな波が僕のほうへ向かってきた。これは乗らなければと思っていたから、頭を下げて力強くパドルし、美しいこの波にテイクオフした。人生最高のこのバレルのことは決して忘れないだろう!

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide