A Lifetime of Smiles!

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完全に自分がどこ出身か忘れる時がある。その場にいる理由やどうやって来たかも忘れることがあるんだ。でも世界中にいる友達一人一人がドリームライフの一部だって事は覚えてる。友達みんなのおかげで、僕は僕らしくいられる。これからも、絶対に忘れないと誓う!
バリに行って、改めて友達の大切さに気づいた。誰かが“目を覚ませ!”とビンタしたみたいな感じだった。
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彼はWayan “Ganti” Gantiasa。Gantiはメンタワイボートトリップっ出会った、初めてのバリニーズ友達。トリップで出会い、それ以来の友人だ。バリに行くとGantiは良く面倒を見てくれる。他の誰よりも僕に波を譲ってくれるレジェンドサーファー。パダンパダンで彼が”Go Kirby”って言ったらみんなその波にはパドルすらしない。彼のおかげで次々とビッグバレルをゲットできた。しばらく会ってなかったから、今回のトリップで会えて、キャッチアップできてかなりストークした。クタのメインストリートにある彼のサーフショップの裏で豚の丸焼きを食べてたBBQデイズが懐かしい。最高の思い出だ。
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Bolとして知られてるMade Adi Putraは僕の弟みたいなものだ。バリのファーストトリップの時、パダンパダンでGantiから紹介された。その時、彼は12歳で、英語も日本語も話せなかった。でもそれ以降、彼はバリのトップに登りつめた。英語も日本語も流暢に話す、チャンピオンサーファー。僕らは四六時中ハングアウトしてたよ。バリ、日本、ハワイでは何度か彼とグレートなサーフセッションしたよ。長い間会って話ししてなかったから、バッタリ会えたのは最高だった。
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Garut Widiartaのことは彼が7歳の時から知ってる。Gantiのいとこで、僕らがサーフィンしてたクタビーチのショアブレイクで夕方友達と泳いでたのを覚えてる。キュートな笑顔の海が大好きなキュートな子。昔は良くGantiに”あの子はリッパーになるよ!”って話してた。彼が10歳のとき、バリにサーフボードを持って行ってあげた。それからはバリの誰よりも早くトップになったんだ。
Ganti, Bol, Garutは僕のファミリーみたいなものだ。1992年以来、素晴らしい思い出がいっぱいあるし、お互いすごく分かりあえてる。海の中でも外でも、プライスレスな思い出がたくさんある。バリの3人に会えただけで、トリップに来た甲斐があったよ。みんなにビッグなハグをしたら、バリのファミリーとまたつながったのがかなり嬉しかった。唯一がっかりしたのは、バリニーズブラザーのBudinに会えなかったこと。でもそのうち会えるだろうな。
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1週間前、セントラルアメリカに行こうとして、ホノルル空港でスタックしていた。上手くいかなかったから、アジアのどこかに行くことにした。関西で乗り換えしようと思って、夜、木村さんに電話したんだ。電話したら木村さんはバリにいた。知らなかった!そして、”おいでよ!”と言ってくれた。僕は”行く!”。それからはご存知のとおり。
木村さん、バリに招待してくれてありがとう。先週は、僕の人生の中でも最高の1週間としてマイヒストリーに残るはず。サーフィンもハングアウトもしたかったんだ。かなり大満足!グレートウェーブでサーフィンして、友達に会って、一生の思い出がたくさんできた。心から、テレマカシ!

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide