Eddie Would GO!

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Ka’iwi Channelは世界に知れ渡ってる一番デンジャラスで恐ろしいチャンネル。たくさんの人たちの命が失われ、たくさんの人が行方不明になって見つかることがない。みんなは”the channel of bones (ボーンチャンネル)”って呼んでる。ビッグウェーブで強いカレント、巨大なサメ、強風、予期せぬ出来事が続く52km。トップパドラーたちが、モロカイからオアフレースをチャレンジしに世界中からハワイにやってきた。パドルで渡るのは、僕の一つの夢だった。コンテストにはエントリーせず、友達と一緒にパドルすることもせず、1人きりでパドルで渡り、心も身体も魂にもチャレンジしようと思う。yeah, 命の危険もあるけど、これこそが僕の人生。メンタルでは覚悟できてるけど、体力的にはまだ全然。
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パドルボードに初めて乗ったのは、マカプウからワイキキまでだった。27キロ。3時間で完走したから、モロカイtoオアフのパドルは7-8時間で出来ると思った。アシスト無しっていうことは、誰もヘルプしてくれる人がいないってこと。トランクスに水を差して、ポケットにスニッカーズ入れて、あとはやるだけ。そういうのが、ずっとやってみたいと思ってた。
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1週間前、準備が整った。風が上がり、コンディションはチャレンジングだけど、こういう中でやりたかった。明日の朝、モロカイでドロップオフしてもらって、夕方にはパドルボードでどんな気分か海に出てみた。乗ったらすぐに何度も何度もひっくり返った。最初の10分で、15回。その後、デッキパットで乳首がこすれてきた。取れちゃうかと思ったほど。やばくなってきたけど、まだチャレンジしたかった。
ウォーターボトルを準備してた夜、兄貴が電話してきて、”アヒの釣りに行こう!”って。OMG!やめて、釣りに行くことに決めたから、乳首が治ったらパドルでチャンネル越えしよう。good call.
TheLegendOfEddieAikau
そして昨日、Eddie Aikauのドキュメンタリーを見た。エディーはオアフからタヒチへの航海でホクレアに乗っていた。Ka’iwiチャンネルはオアフからたった10マイルしか離れていない。エディはヘルプしようとボードに乗ってパドルして、二度と見つからなかった。エディのような正真正銘のウォーターマンが、永遠に失われてしまった。ドキュメンタリーを見ていたら、もし僕が行方不明になったらどうなるだろうって考えて鳥肌がたった。そして思った。”hey,シリアスになるよりもいい方に考えよう”って。だから今は、エクイップメントについて考えたり、あと少し練習をしたほうがいいと思った。もし兄さんがフィッシングに行こうって電話をくれていなければ、エディーにインスパイアされていなければ、命を失っていたかも知れない。omg! できれば僕の夢は叶うといいなと思ってるけど、今のところはホールド!

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide