人生とは美しいもの。そして幸運にも素晴らしい人との出会いがあると人生とはもっと美しくなる。
家城さんとは1993年に出会った。それからこのワンダフルな人をずっと知ってる。毎年どこかで会う。四国、京都、またはどこかサーファーが集まる場所で。家城さんはハードコアサーファー、レジェンド、そしてとてもいい人だ。この22年いつも笑顔でいつもグレートなサポーターでいてくれた。僕がリスペクトする、僕が尊敬する、優しい心の持ち主。
僕が最近行ったキューバの旅中に家城さんが亡くなったという知らせが来た。体の中に大きなショックが流れた。いろんな気持ちが混ざり合う。 flashbacks, memories, and tears.
彼の葬儀に僕は参加できなかったが僕の心はそこにある。
この写真を見てると思い出が蘇る。この写真の中の人みんな僕は知ってる。今まで過ごしてきたサーフィンの世界の友達。僕らはまるで大きな幸せ家族のようだ。だから誰かを失うことはとても悲しい。
この写真を送ってくれた松尾に感謝。家城さんのビューティフルなスマイルをまた見れたことは僕にとっても大事なことだ。
家城さんの美しい娘さんと僕の写真。 gosh, これって1998年だったね。
家城さんは京丹後でぶどうとなし園を経営している。何度か僕も訪れて彼はいつも僕が日本にいると果物を送ってくれた。そしてその上に家城さんは僕らWe Are One ミッションの大きなサポーターでもあった。
家城さんはよく写真も送ってくれた。これはとてもかわいい。
プレゼントもくれた。四国で僕の部屋に入るとジャックさんのボトルにメッセージが。とにかく今年4月に家城さんと四国で会ったときはまったく元気だった。その後すぐ彼は医者に行き末期のがんで短い余生だと診断された。
家城さんはこの夏ハワイに来てこれが彼にとって最後のサーフトリップだと言った。僕らはサーフして笑って抱き合って、彼が帰った時僕は泣いた。彼の前では僕は絶対泣かなかった。でも僕も人間だから。そして寂しく思う。
ハワイで家城さんとサーフィンができて僕は幸運だった。ディナーの後彼をホテルに送って彼が僕にハグしてくれて”最後にどうしてもDoveウェットスーツの40周年パーティーに言ってみんなに会いたい。” と彼は言った。これが10月にあった。そして僕がこのパーティーに参加した大きな理由の1つがそれでもあった。僕もパーティーに行くからと家城さんと約束したから。
だから家城さんがDove のパーティーに来れて僕もみんなもとても感激した。何度も彼と握手してハグをした。これが会えるのが最後になると僕らはわかっていたから。
家城さんは僕の人生にいろいろな面で関わってくれた。彼は僕にとって本当のインスピレーションだった。彼の温かい心と親切さを絶対忘れない。彼のような素晴らしい人と出会えて僕は本当にラッキーだった。この22年間グレートな思い出しかなく、思い出すことはすべて彼の黄金の笑顔だ。 goodbye my friend.