Surfing Life: My First Japan Cover Shot….

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この写真についてなら本が1冊書けるほどだけど時間がないので短くする。雨が降り曇って風も強い1993年8月26日の朝、東京沖にでかい台風があった。当時毎日早朝に起きていたので、波がすごく良くなると聞いていたこのあるスポットへチェックしに行った。海岸線の道路をドライブしていてまだ暗くて海が見えなかった。すると突然でかい波が道路で割れて道は水浸し。30フィートくらいあるしぶきが僕の小さい車にかかってきた。びっくりして死ぬかと思った。この後2つのセットをなんとか通り抜けて道路は閉鎖された。車を脇に寄せ波が大きいのがわかってたのでちょっと怖かったがポイントまでドライブ。車は数台しかなかった。グレン・松本、高津佐浩行とフォトグラファー藤沢裕之がもうすでに来ていた。雨の中僕らは波を見ていて危険過ぎでコントロールできない状態だった。ものすごいショアブレイクを超えるのさえ不可能に見えた。波は8−10フィートでもっと大きなセットが来ていた。10本のうち9本はどでかいクローズアウト。コントロールできない大波はハワイでトニーと一緒に過去にもサーフしたことがあったけど、もし彼なら迷わずすぐにパドルアウトしていただろう。僕は7’0を持ってワックスをかけパドルアウトした。グレンとkozzも僕と一緒だ。最初の波をつかみすべってやられた。僕のトロピカルウォーターワックスは川からの冷たい水には固過ぎた。上がってまたワックスをかけなおした。今回は自分の足にワックスをかけた。パドルアウトして水平線にでかいラインがある。来るのが見えた。10本中9本はクローズアウトと知ってたので、運に任せ2番目を選んだ。テイクオフ、ボトムターン、そしてこのでかいバレルに入った。このバレルの中で出れなかったら死ぬだろうなと考えてた。どうにかバレルを抜け出た。もう最高!!これ以上のものはないと思ったのでこの後すぐにあがった。それに危険すぎる。言うまでもなくライフガードなんていなかったし。フォトグラファーの藤沢さんは雨の中傘をセットアップしてカメラを出していた。暗過ぎたので僕は何も考えなかった。ハワイではこんな日じゃ誰も写真なんて撮らない。でもここはハワイじゃない。1ヶ月後、千葉のバー”topanga”にてディナーを食べているところに藤沢さんが封筒を持って入ってきた。封筒を開けてこのカバーショットを見せてくれた。この瞬間は一生忘れる事はできない。ズボンに漏らしそうになった。めちゃくちゃハッピーで今でもハッピーだ。これは14年前だけどあの時程波はもう大きくならない。当時スリルを求めてビッグウェーブでサーフィンしてた、写真を求めてではなくね。14年前のこの日は僕は両方ゲットできたんだ。
この表紙が出てから僕は千葉の丸井プロにいたら、マーティン・ポッターが来て僕に”ナイスカバーだね。あれってオフザウォール?”と聞いてきた。確か僕は”yes”と答えたと思う。誰にもこれが日本だと知られたくなかった。うそついてなんか悪かったかな。
とにかく誰にも知られてないような男を表紙にしてくれた雑誌サーフィンライフにありがとう。あのカバーショットは僕の人生を変えてくれた。ドウモアリガトウゴザイマス。。。

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide