この旅では、インドネシアはサーフィンをするために重点を置いていたんだ。日本でもサーフィンできたらラッキーだなって思っていた。だって日本は波が来る時も凄く気まぐれだから、来たらラッキーって思わないといけない。もしインドネシアでスコアできても、それは普通なんだ。でも日本では運が大きな要因になる。そして僕の兄が日本でのサーフトリップが初めてだったので、僕たちは凄くラッキーだったよ!少数の他のローカルたちとこのスポットをサーフィンすることは凄く素晴らしいことだった。それに僕の兄がまたサーフィンをしているのを見れてもっと素晴らしいよ。
僕がハイスクールに行っていた時、Masonは学校で1番のサーファーの1人だったんだ。彼は僕がバレルをゲットしたのを実際に見た最初の人だった。僕はまだ記憶の中であの瞬間のことが焼きついているし、その時から僕もバレルをゲットしたいって思っていたんだ。今彼は10年に一度しかサーフィンしないけど、80年代のサーファースタイルのままで、しかもカッコイイんだよね。
スンバワに戻ろう。トクラさんと僕は30年前に一緒にサーフィンした波を自分たちの目で見に行ったんだ。それは一周しているようだったけど、今はもっと深く探すために動くことができるよ。僕たちは複雑な心境で自分たちの目で見に行った。それはまた今度話をするね。
波は巨大だったからラインナップは空いていたよ。あれは命懸けになるのは確かだよ。リスクは高いけど、得るものはもっと大きいね!
(翻訳: タナカ チヨコ)