Japan Day 3: M5 Day 1

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1. 東北に行くのをサポートしてくれたみんなへ、心の底からお礼を言いたい。今も世界中のみんなから支援してもらって、すごく嬉しいよ。昨日ナオカの家に行った時、たくさんの段ボールが届いていてびっくりした。暖かい洋服、キャンディ、沖縄のお菓子、それと沖縄の子どもたちからのメッセージまで入ってたよ。もしみんなのサポートが無ければ、僕らのミッションは実現出来なかっただろう。それで、2台のバンに荷物を運び入れて、北へ向かった。長い6時間のドライブ。
2. 今回運転してみると、最初の時とは全然違うと思った。道路も復旧して、今は元に戻っていた。休憩しようとパーキングに車を停めたとき、たくさんの旅行者がいたよ。前は救助隊や自衛隊、ボランティアが何人かしかいなかったのに。思い返せば気持ちも全然違った。あの時は笑顔の人なんて1人もいなかったんだ。みんながいつもの生活に戻りつつあるのを見られて嬉しかった。
3. 茅ヶ崎と東京からの道中ずっと放射線量をモニタリングしてた。福島に近づくにつれてどんどん数値が上がった。ちょっと居眠りしていたらアラームが鳴った。ガイガーカウンターは0.97を記録し、30分以上も警報音を発していた。
僕らは昨夜はキクちゃんと仙台でナイスなディナーをしたよ。今は朝の5時半で、彼女も一緒に女川へ行く予定だ。そこは中でも最悪の被害を受けた場所のひとつ。以前ミッションで通りかかった時、被害を見て信じられなかった。頑丈なビルの基礎さえもなくなり、何も残っていなかった。4月初めに来た場所を僕ら8人は再び訪ねようと思っていた。その時の記憶が全部蘇ってくる気がする。ただ、良くなっていることを願うよ。これからの2日間報告するから、世界中の人たちが、日本がどれだけ復旧して、どれだけ今だに同じ状況なのかを知ってくれたらいいと思う。さて、行かなきゃ。一晩中僕の隣でイビキをかいて寝てたクマに“トダさん”って名前をつけたよ。雷鳴みたいな音と振動が僕の耳栓を通り抜けてきた。まだ時差ぼけしてるけど、行く準備はできてる。stay tuned.

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
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