My Saddest Day of my LIFE: Okawa Elementary School

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僕はミッション6から戻って来てすぐにこのブログを書いたけどポストしていなかった。ヘビーすぎるかもって思っていたから。たしか4月19日のことだ。1か月が経ち、振り返ってみて、これこそがその時の僕の感情だと感じたからポストすることにした。旅をし始めてから、本当に色んな経験をしてきたし、人生について多くを学んだ。自分の持っているものとそうでないものにどう感謝したらいいかも学んだ。経験してきたどのミッションの後にも、ハッピーな時間や悲しい時間があった。それはまるでコントロール不能になったローラーコースターみたいだった。ミッションの間には、夜遅くホテルの部屋で一人座り込み、子供みたいに泣いたこともあった。そして朝起きると、うその笑顔で取り繕ったりした。そんなことするのはすごく辛かったけれど、それは僕だけじゃなかったはずだ。このブログを書いた日、色んなことを考え続けられなくなったのを覚えてる。傷ついたから?痛み?罪悪感?みんなが思うような色んな感情が僕の心を支配していた。テレビで見ていることと、実際に経験していることとは全く別ものだった。この日は永遠に僕の心の奥深くに残るだろう。これが、4月19日のブログ。
3月11日以来、僕の人生は別なものになった。ミッション6の後でも、二度と同じようにはならないだろう。石巻のWe Are One Marketへ行く途中、大川小学校に立ち寄った。4回目のことだ。初めて立ち寄ったときは、あの日亡くなってしまった108人のうち74人の生徒と、13人のうち10人の先生たちに敬意を払いにいくためだった。
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学校までのドライブで僕は背筋がゾクゾクしていた。車は慰霊碑に近づくにつれて静かになっていった。被害を受けた教室に歩いて行ったとき、実は子供たちの声が聞こえたんだ。遊んでる子供たちの元気な声だったけど、そこには誰もいなかった。僕にとってはヘビーな体験だったし、感情を抑えきれない程の辛い時間だったけれど、その場を離れたくなかった。僕らはしばらく歩き回り、その場を出発した。その後車で3分くらいでWe Are One Marketに到着したけど、純粋にただ嬉しかった。気分は一番低いところから高いところまで上がったような感じだった。僕は感覚もなく、心を失い、すごく寂しい気持ちだった。正直言って学校を訪問した後に笑顔になるなんて、無理な話だったんだ。
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そこで見たものは、かつて色彩に溢れた美しい学校の風景だったけど、辛かった。そこは暗くて空っぽで悲しい空間。子供たちが何とか生き延びようとしていたことを考えるのはつら過ぎた。
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その後、ホテルに戻る途中で学校を通り過ぎなければいけなかった。次の朝もマーケットにいく途中でもう一度、そして2日目もホテルへの帰り道に再び学校を通り過ぎなければいけなかった。チームの何人かは、もう参拝するチャンスが無かったから、僕らはもう一度立ち寄った。でも僕は車から降りたくなかった。あの日たくさんの人の笑顔を見た後に、また暗いトンネルの中に入るような気分になりたくなかったんだ。でも車の中で待っているのはチームから外れたような気分だった。だから外に出て、自分一人の時間が必要だったから辺りを歩き回った。僕は前は一生懸命勉強をしていた子供たちでいっぱいだった教室の中を覗き込んだ。きっとこんなんじゃ無かったはずだ。
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子供たちが何人か助かった丘の上に行ってみた。彼らが一体どんな酷いことを経験してどんな気分だったか経験しなければと思ってた。まず第一に、丘を登ることは僕にすら大変なことだった。この状況に雪や雨が降っていたら、子供だったらほとんど不可能だ。その後、丘に登って周りを見渡してみたら、周りには全く何も残されていなかった。生き物も、ビルも、何もない。大川小学校は海岸から4Km離れたところにあるけど、こんなに遠くまで津波が上がって来るなんて、誰が想像できただろう?丘に登れた子供たちだけが生き残り、低い場所にいた子供たちや先生たちが命を失った。
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これは子供たちの慰霊碑。これの隣には学校の中へ続く電気コードが付いたソーラーパネルが並べらている。夜になると学校にいる子供たちのためにライトアップされるようになっているんだ。
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丘の上にいるナオカとリョウスケ、マキが見える?安全なのはあの場所だった。もしあれよりも下にいたら、津波に流されていた。
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学校からの避難時間は50分あった。地震の後、子供たちを迎えに来た親もいて、彼らは助かったんだ。残された子供たちの何人かは丘に登ったけど、ほとんどの生徒は学校の近くにいて、35mの津波が来た時は逃げようがなかった。
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あの日の感情は言葉で言い表せない。
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慰霊碑の隣には3月11日より前の学校の景色が写った写真があった。この場所が緑溢れ美しかったのを見て欲しい。
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学校を見た後、グラウンドを歩いてみたら、自分の人生への見方が変わった。僕は子供が大好きだ。みんなピュアで無邪気。あの日命を失ったとは思えない。彼らは学校という安全な場所にいたはずだ。両親だったら、子供たちを守ってくれる大人と一緒にいる安全な場所だと思うに違いない。でも10人の先生たちが亡くなり、生き残った3人の先生たちは残された命の痛みを感じているだろうと思う。あの日僕はそこにはいなかったけれど、僕だったらと考える。僕だったら誰かの子供の命を救っていただろう。子供たちの身代わりになっていただろうと思う。そうすれば一生罪悪感に苛まれることなんてない。僕の心はあの日から子供を失った家族へと向いてる。どんな気持ちか聞いたときからずっと毎日彼らのことを思ってる。また暗いトンネルに入り込んでいきそうだ。もう書くのを止めた方がいいかな。
でも、最後にこれだけは言わせて。もし子供がいるなら、ぎゅっと抱きしめてあげて欲しい。彼らをいっぱい可愛がり、愛してあげて欲しい。もしかすると、これが二度と会えない最後の時になるかも知れないのだから。
これは大川小学校を特集したドキュメンタリーの一部。何度見ても悲しい。
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=MMyXAKieO0o [/youtube]
そしてこれは生きて帰れた勇敢な子供の話。ハワイに帰ってきてからこのビデオを見た。辛い話だ。
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=LbSu3sEhZr4[/youtube]

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide