この水中から出てる赤いポールは7メートルくらいあり、沖縄のアウターリーフにある。サーフスポットじゃないよ。僕は3年前、ここで死にかけた。今年は、みんながリベンジだって言ったけど、僕にとってはチャレンジだった。絶対に負けるから、自然に対してリベンジって言葉を使うのは好きじゃない。でも、自分自身へのチャレンジすることや、最悪の恐れに直面するのは克服したいと思うようなことだ。この場所は、怖い。リーフにヒットするのがどれだけヤバいかも、どこにヒットするかも知ってる。3年後に同じ場所で分厚い波にテイクオフすることは、また同じ悪夢を繰り返すのと同じ。こないだの沖縄へのトリップには、2つの理由があった。一つは、木村さんのバースデー。もう一つは、僕がその場所に行くか行かないか。マザーネイチャーに任せたんだ。あの日、ボートに乗っていたみんなは、僕がどんな気持ちかは知らなかった。正直言って、怖かったし心配でナーバスだった。そして僕は、こういう3つの感情が嫌い。ずっと一人きりでラインナップまで長時間パドルしてた。そして自分自身に、“もし今日死んだらそれまでだな”って言ってた。そして、あの日死んでたら、それは僕の運命だった。
これは雑誌Surf1stに載った3年前のスウェル。モンスターウェーブを見下ろしながら波のトップにいる僕。このポールがどれほど高いか覚えてる。それにここで割れる波を見て。photo: kinsan
その後、キンさんがチャンネルでシュートし始めた頃に僕は行ったよ。波がポールに当たった音が聞こえたと同時にセットでテイクオフして、バックサイドのレールを入れた。チャンネルから巨大なウォールが現れてきたのが見えた。プルアウトするべきか、プルインするべきか?そしてほんの一瞬でバレルにプルインしようと決めた。
レールをグラブしたら、波がリーフの上の海水を吸い上げ、あちこちにドライな珊瑚礁が見えてきた。視線はバレルとリーフそれぞれを見てた。コミットした時には遅すぎてプルアウト出来なかった。僕はプルインすることを決め、リーフにフィンが当たらないことを願った。photo: kinsan
波がさらに水を吸い上げたせいでテールが表に出てきたから、斜めにスライドして行った。レールを離し、コントロールを戻そうとした。視線はリーフと波を見たまま。目の前のでこぼこが見える?あれはドライリーフが出てきたもの。突然現れ、僕はノックアウトした。何とか目を覚ました時、ジェットスキーが僕を引っ張ってボートまで連れて行ってくれた。僕はゾクゾクしてショック状態だった。他のみんなは僕がケガしたことを知らずにサーフィンしてたけど、タカハシさんがボートに戻ってきてくれたおかげで、あの日僕の命は救われた。だから今日この日までタカハシさんに感謝してる。photo: kinsan
それから早くも3年が経った。2012年9月25日。同じスポットでパドルアウトした。波は小さめだったけど、リーフはまだそこにあった。行く途中に僕は“1本だけ乗って、生きて帰ろう”と自分自身に言い聞かせてた。そしてついには3本キャッチしたんだ。最悪の恐怖感を克服した。僕の命を奪おうとしていたスポットで締めくくった。それは僕にとってパーソナルなチャレンジだった。photo: naoka
あの夜遅く、友達がやって来て、“hey Kirby。君のサーフィンて古いね。今日はサーフィン上手くなかったよ”と言った。その時はガッカリしたし、今日までずっと落ち込んでる。みんながアウトサイドで僕の事ジャッジできるから悲しい。あの日サーフィンしていない人は、僕の人生最大のチャレンジをけなす権利なんてないんだ。そのことを考えれば考えるほど、本気で悲しくなる。
でも、とにかく、僕はあの日学んだことがある。
– 恐れを克服するにはできる事は何でもやるべき
– 自分自身への挑戦はさらなる自信になる
– そして、他の人のサーフィンはけなしてはいけない。絶対に!
ブログでこんなこと書くのは好きじゃないんだけど、吐き出したかっただけ。あの日は複雑な気持ちだった。3年前に一緒にボートに乗ってたグッドフレンドの多くは、あの日僕の人生が変わったことを理解してくれてる。死に近い経験をすれば謙虚になるはずだ。他の誰かに何かを証明することなんて何も無い。友達と一緒にニーハイの波でファンサーフィンすることと、ノースショアの死にそうなバレルにプルインすることは同じこと。それがサーフィンの一部だって分かって以来、海の中でも外でもさらにハッピーな人になれた。ワガママかも知れないけど、こういうことが僕にとって一番大事なことなんだ。自分自身のためにサーフィンしよう。他の誰のためでもないんだから!