My Grandpa's Ototo-san….

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おはようございます。日本は土曜日、ここに来て6日経った。暑くて蒸して雨でいつもベタベタしてる。だけどそれでもOKだ。いい食べ物食べて仕事して存在すら知らなかった新しい家族と会って良い時間を過ごしている。

新しいサーファーガールもう見た?今のうちに手にいれた方がいいよ。僕は近所で2つの本屋に行ったけどもう売り切れだった。そう、写真はケリアでブルーハワイだ。ここが恋しいな。。。

この写真の明るさ見て?裏話は10ドルで反射板を買った。ケリアの家に行ってセスにアシスタントを頼んだ。逆光だったのでセスが10フィート後ろでケリアの顔に向けて反射板を当ててもらった。彼女にはまぶしかったみたいだけど”目を開けて!!”と僕は言い続け1秒ケリアが目をあけたところを撮った。二人ともいい仕事をしてくれたので写真の明るさはクールに仕上がった。。。これが裏話。。。
昨日はとてもヘビーだった。ずっと会いたかった人に東京まで会いに行った。オオサキおじいちゃんの弟。僕の大好きなオオサキおじいちゃんは3年前に亡くなった。僕にとってすべてだった。おじいちゃんは今日の僕を作ってくれた人の1人だ。おじいちゃんに対する気持を書いたら何百のブログが書ける。またそれは今度にするけど、おじいちゃんを恋しく思うしいつも思い出す。悲しい思い出ではなくていい思い出だ。僕の学歴や夢についてオオサキおじいちゃん以上に支えてくれた人はいない。だからおじいちゃんがいつも話をしてくれていたおじいちゃんの弟に会いに東京へ行くのは僕の人生にとって大きなイベントだった。
吉祥寺駅に午前中に着いてスミコおばさん(今回初対面だった)がタクシーで迎えに来てくれた。おじいちゃんの弟(92歳)の部屋へ行き緊張して足が震えた。近づいてマサオおじいさんに自己紹介し、椅子座り僕とおじいちゃんだけになり、僕は”マサオおじいちゃん、僕の名前はカービーです。僕はおじいちゃんのお兄さんの孫です。僕のおじいちゃんは素晴らしい人でした。ずっと一生懸命働いてきて家族を支えてくれました。マサオおじいちゃんも誇りに思っているでしょうね。。。”僕は声が詰まってしまい止まった。マサオおじいちゃんは僕のおじいちゃんがどれだけすばらしい人だったか知っているはずだ。あまりに僕のおじいちゃんと目がそっくりだったので、ずっと僕はマサオおじいちゃんの目を見つめていた。またおじいちゃんに会えたみたいで僕はずっと笑顔だった。とても深い。。。そして帰りの電車でおじいちゃんの事を考えてた。とても恋しい。。。

新しい僕のいとことおばさん。東京での素晴らしい時間とランチをありがとう。また会いましょう!!
今僕は自分が本当の日本人だと知った。国籍は無いけど僕のルーツは深くここにある!僕が育った時からなぜか日本には親戚がいないと思っていた。拒絶してた?ばかげてた?無知だった?わからないけど今はどうでもいい。過去は過去。今は今。だって日本に家族がいると知ったしもっと自分のルーツを探すよ。僕が2週間前に紙に書いた家系図はどんどん大きくなってきてる。そしてもっとエキサイトしてきてるよ!!次は何かな?

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide