Flashback 2009: Sharing the Life @ North Sumatra

480

2011年に大きな日本の地震と津波が来てから、日本で地震があったらいつでもアラートを受け取れるようにしているんだ。だから今朝これを見て目が覚めたよ!日本のみんなが大丈夫であることを願っています。

今朝やっとハードドライブを開けて、昔のサーフトリップの写真を見たんだ。僕は旅のことを思い出せないんだ。なぜならあの頃は凄く忙しくて時間が過ぎて行くのが凄く早かったからなんだ。本当に1つの旅が終わったら、また違う旅へ行っていたんだ。だから家に帰って写真を見るかわりに、すでに次の旅のパッキングをしていたんだよね。だから大切な思い出、笑い、または涙を見返して思い出しているんだ。こちらは日本のレジェンドサーファーやスノーボーダーたちで構成されていて2009年に行った旅なんだ。

僕たちはパダン港を出発して、スマトラの沿岸を半分航海して、最後にバンカルの南端へ行ったんだ。そこへはトータル40時間かかった。でも数本のバレルをゲットするためにニアスへ立ち寄り、そのおかげで長旅ができたんだ。

僕はこの写真を撮ったのを思い出せないから、写真を開けた時、フリーズしたよ。失意で涙目になった。アカザワさんに凄く会いたいな。

そのサーフセッションは絶対に忘れないよ。パーティーをしたことや、笑い、笑顔。多分僕たちの人生で最高にハッピーな時間の1つになっただろうね。トクラさんがこの旅に僕を招待してくれたから、凄く感謝しているよ。

アカザワさんへ スポンサーになってくれて、友達になってくれ、そしてサポートしてくれてありがとうございます。あの25年は素晴らしいものになりました。そしてオフィスや遊び場でも一緒に過ごせて凄く幸せです。天国で僕たちが2人でまた波をシェアする日が来ます。その時まで笑顔でいてくださいね。

インド洋に浮かびながら毎日の終わりに僕たちはいつも集まって、ビンタンビールをあけ、そして乾杯していたんだ。サーファーとして僕たちはみんな人生は一度しかないって分かっていた。それに僕たちはあの時、世界の他のどこへもいたくなかったんだ。多くの人たちからするとワガママに思えるかもしれないけど僕たちにとっては全く問題ないんだ。we lived by ONE LIFE!

(翻訳: タナカ チヨコ)

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
https://go-naminori.com/kirbyhawaiisurfingguide