もし僕の知り合いならこの話は聞いた事あるかも。でも今までで雑誌に載ったもののうち一番思いでに残ってるのはどれかと最近聞かれたのでこれがそれ。。。
僕の義兄のトニー・モニーツが1990年に僕を初めてバックドアに連れてってくれた。当時これはスーパーヘビーだった。dane kealoha, perry dane, michael hoや他のヘビーなローカル達がこのスポットを制覇してた。インサイドで僕は乗れるものをゲットしほとんどがクローズアウトだった。トニーはよく僕にゴーと言ってそういう時は僕はどうしてでも行った。これもそのうちの1本。6’以上の波がバックドアにあって誰も乗ってなかった。トニーがゴーと言うので僕はパドルして6’3 dennis pang の板でプルイン。僕がその後もまれて溺れそうになる前にフォトグラファーがこれを撮ったんだ。2ヶ月後、姉が当時働いてたローカルモーションから電話をかけてきて、新しい1990年のサーファーマガジンのカレンダーに僕が載ってると教えてくれた。この日を一生忘れない。姉が冗談言ってるのかと思った。車で一番近いフードランドに雑誌を買いに行った。カレンダーを見つけ中のこの写真を見た時が人生で一番ハッピーだった。鳥肌立った。当時2つのサーフィン雑誌しかなかったのでこれは大きな事だった。それもカレンダー?まじで?この年の8月、このカレンダーがハワイのあちこちで飾られてた。僕は”名前不明サーファー”としてでもこのカレンダーになった事を最高にうれしく思った。そう、雑誌は僕が誰だか知らなかったのでカレンダーには”サーファー名前不明”となってた。僕は気にしなかったよ。それでもいい。この写真は20年程前に撮られて今でもここで自分がサーフしてるなんて驚きだ。20年前にここで最初の波を乗って以来バックドアが大好きで今ではもっと好きだ。この冬が楽しみだよ。。。
1990 Surfer Magazine Calendar…
Living your Dream: Carrie Ann Inaba
キャリー・アン・イナバと会ったのは僕が16か17才の時だった。昔僕は彼女の家の近くにあるniu valley の76ガソリンスタンドで働いていて、よく彼女は真っ赤なトヨタのスープラで週1で来ていた。彼女が来るとみんなで競ってガソリンを入れようとした。そしてもちろんそれに関しては僕より早い奴はいなかった。結局僕らは友達になってしばらく一緒につるんでいた。よく自分の夢を語ったりして、彼女が有名なダンサーになりたいと言ったのを僕はいつも笑っていた。キャリーはあちこちで踊りまくっていたので僕は冗談かと思ってた。当時僕は夢というものに理解を示してなかった。だって自分の夢自体がサンディビーチで友達とビールを飲んで一生過ごす事だったんだから。でもキャリーは違った。彼女はプナホウ出身だったし、プナホウの生徒はでかい夢をみんな持っててほとんどかなっている。とにかくこの何年で日本でレコード出したり、アメリカの人気テレビ番組やマドンナのショーのダンサー、ハリウッド映画の女優、そして今日の彼女、dancing with the stars のアイコンだ。彼女はトップを飾っていて成功を見るのは素晴らしい。彼女をテレビで見るたび今でも昔と変わらない。グレートな性格のクールな女の子。driven… それがキャリー・アン・イナバだ。。。
ところで僕のアルバムに当時の彼女の写真がいくつかある。もしブログに載せたのが彼女にばれたら追いかけられて殺されるだろうな。。。(笑)だから載せないよ。
carrieanninaba.tvはこちら。。。
そして日本の人はあまり彼女を知らないと思うのでこれをご覧下さい。。。
roti island day six
oh my gosh, でかい魚とナイスなバレルをゲット。波は4’でパーフェクト。パラダイスだ。コンピューターも携帯も無い。僕のロングバケーション。みんなもハッピーだといいな。
キャプテンの携帯よりテキストメッセージ