木曜日 10月31日 2024年

mt. fuji


already snowing.

Okinawa Nuggets….

good early morning. 4am 、そうです時差ボケ。昼飯食べたい気分だ。また寝ようと思ったけど目が覚めてしまった。だからインドネシアの旅の準備することにした。たくさん持ってくものがあってきっと航空会社でもめそうだ。ボード3本、ダイビング道具、カメラ道具、他いろいろ。僕は趣味が多過ぎなんだね。夕べ沖縄にいる木村さんとカズボーさんから電話をもらった。波は毎日ゴーイングオフだそうだ。ラッキーな人達だ。。。とにかく沖縄のボーイズにこんにちは。そして”僕の部屋122は残しておいてよ。それに僕のhummerは乗っちゃだめだからね”(笑)

僕の壁にあったこの写真。これは沖縄のスナベの目の前の新しいビーチハウスnuggets。波があっても無くても夕方5時にはnuggetsにみんな集まりオリオンビールを飲みサンセットを楽しむ。nuggets懐かしいな。。。リキオ、サトル、そして故brett young。楽しかったな。。。
ところでそろそろロングドライブして南にサーフしに行く。写真お楽しみに。have a nice day..

My Mail Friend that Touched my Heart: Nohea'akoni Keali'imakai

このブログを始めてから世界でもアメージングな人達と出会った。子供、大人、観光客、そして普通の人々。でも僕の人生を変えた人が一人いた。彼の名前はNohea’akoni Keali’imakai または “Nohea”。Noheaは1年程前に僕にメールをしてきてgo-naminori についてどうやって作ってるのか聞いてきた。しばらくメールでやりとりしていたが僕は大人を相手にしてるとばかり思ってた。実際彼は15才だった。写真を撮り、ビデオを撮り、書き、プロがやりそうな事をやったりする。それも自己流だ。メールを通して仲良くなり彼について多くを知った。彼は何千もの人生を生きてるようだ。。。

”これらの眼は何を見てきたか”彼のように感動させてくれた人とは今まで会ったことがない。まだ子供でも彼は地獄を見てそこから戻りそれも何度も。彼はドミニカ共和国で生まれ4才からはほとんど一人で生きてきた。自分の両親から虐待を受け里親を出たり入ったりし、レイプされ、ドラッグ、そしてストリートで生活したりしてた。彼ははわいのウェストサイドで育ちサーフィンを通して人生の輝きを見つけた。彼は自分を本や詩を書いて表現しきた。彼の本とポエムを僕は読んできた。時には笑え、でもほとんどは泣けた。
僕は自分の子供の頃も結構大変だったと思ってた。もっと悪い状況の人もいたりしたけど、今までNoheaのような悪い子供時代を過ごしてきたという人はいないだろう。すべて経験してきた。彼からたくさんを僕は学んだ。自分の人生に感謝した。悪い事でもだ。そして愛する事を許す事を彼は教えてくれた。ずっと苦手だったこの2つの事。彼は僕のナンバーワンのメル友でまるで僕の肩にいる天使みたいな存在だ。悲しい事は彼はHIVの影響でガンと闘ってる。プエトリコで治療を受けているけど僕に連絡くれる力がまだある。これは僕がNoheaいついて語りたい20話のうちのまだ第1話だ。みんなとシェアしたいと感じた強いメッセージを持った子だ。Nohea、がんばってくれ。。。