1990年代を振り返って: 日本の沖合で台風が発生したと戸倉さんから電話がきたら準備をする。当時は携帯電話がなかったから、自宅の電話だった。旅行代理店へ電話をし、最短でハワイから日本へのフライトに乗った。空港に迎えに来てもらい、離島行きのフェリーに乗り、何時間もドライブする。到着すると波はフラットだった。BUT, 僕らはみんな、台風スウェルがじきに姿を現すことは分かってた。
当時はインターネットもケイタイも波予想もなかった。ローカルの知識とみんなの直感に従っていたんだ。日本は広く、たくさんのサーフポイントがある国だから、波を見つけるのは割とイージーだ。難しいのは、与えられた一日のベストスポットを見つけ出そうとすることだった。僕らはベストなタイミング、ベストな日にベストポイントにいることをいつも”ザ・デイ”と呼んでいた。それが僕らの仕事であり、何よりも重要で情熱そのものだった。僕らサーファーはベスト・オブ・ベストを求めてたんだ。クレイジーなことに、いつもベスト・オブ・ベストで締めくくっていたんだ。
この特別な一日はスペシャルな島での出来事だった。1カ月前の豪雨で川が決壊し、欠点のない完璧な玉石のバンクが形成されていた。100マイル離れた大型の台風がグラッシーなスウェルを送り込み、一度バンクにヒットするとウェーブマシーンのようなモンスターバレルに変化した。ハワイアンスケールで6-8フットで、アウトは無人、完全なるゴージャスウェザーだった。こんな日々をいまだに夢見てるよ…