1989 HPAC Poison

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これは1989年のハワイアンプロ/アマチュアサーキットの最終レーティング。この時期はよく毎日、トニー・モニーツとトッド・ミツイとサーフィンしていた。コンテストがカウアイ、マウイ、ビッグアイランド、オアフで開催されてた。全体で11位だったから、僕のキャリアでは偉大な成果を残したよ…


omg, バリで食中毒になったところの写真を見つけた!


これをオーダーして食べた5分後にトイレに駆け込んだんだ。日本へのフライトがその日の夕方だったから、一日中ひとりきりで死にそうになってた。うずくまって、あちこちに吐いてたんだ。あれは悪夢だったな。どうやって空港まで行って、7時間のフライトで日本まで帰ったのか、記憶がない。


関西空港での12時間のレイオーバーの後、高熱が出て冷や汗をかいた。汗をかいているのに、凍えるように寒かった。“まず飛行機に乗れば、すべて大丈夫”って自分に言い聞かせていた。とにかく家に帰りたかったんだ。飛行機に乗るときも熱があってブタみたいに汗をかいていて、肌の色はオバケみたいに真っ青だったようだ。エアポートのスタッフが大丈夫ですかと聞いてきたけど、もちろん“はい”と答えた。飛行機から降ろされたくなかったからね。やっと搭乗したら、ビジネスクラスにアップグレードしたことに気づいた。それがかなりの救いだった。食中毒はどんなことよりも最悪な気持ち悪さだ。あのときは、人生で一番最悪な38時間だっただろう。誰にもこんなことが起きないことを願う…

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
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