Documentary of the Cherry Boy

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セスが子供の頃だったときからのホームビデオがたくさんある。彼の今までをずっと記録してたんだ。なぜって?この子はいつかスペシャルな存在になるって思ってたからだよ。

セスは最初に日本へトリップし、それからバリへ行った。このときは、この子について知っている人は誰もいなかった。クラマスのGrom Festにエントリーして、そこから先はご承知のとおりだ。このコンテストの後、世界中が少しずつセス・モニーツが誰なのかを知るようになったんだ。

僕はセスがコンテストで優勝するまでの間ずっと、どのヒートもビーチでじっと観ていたよ。まったく別次元でサーフィンしていた。コンテストの後、バリのボーイズのみんなが、あの子は誰なのかって聞いてきたんだ。世界的に有名になった瞬間だね。

そして時が経ち、サイン会やインタビューに対応することもセスが目指す夢の仕事の一部であることを理解したようだ。そういうことも好きになるように学ぶんだと教えていた。当時はどれほどファンが喜んでくれているのかセスは分からなかったかもしれないけど、今なら理解できていると思う。

今のところセスは世界ランク2位だ!この子に夢を託している人たちはいっぱいいると思う。

セスの勝利は僕らみんなの勝利だからね!

 

KIRBY FUKUNAGA
ハワイで生まれ育ち、プロサーファー、フォイラー、スキンダイバー、カメラマンの肩書きを持ち、ウォーターマンとして、海で多くの時間を過ごし、海から多くのモノをもらいながら生活しています。彼が伝えようとしていることは、海がある生活は僕らを豊かにしてくれるということ。そして、自分だけではなく、いろいろなことをみんなにシェアし、人生を楽しむということ。現在は、ハワイでプライベートサーフィンガイドを主催。
カービー福永のハワイサーフィンガイド
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