月曜日 7月7日 2025年

Kimi Werner Spearfishing…


僕のyoutube友達がこのyoutubeビデオを送ってくれた。このクリップはkimi wernerが魚をスペアリングするものだ。 去年の夏友達のshawnが彼とkimiが行くダイビングに誘ってくれた。その日僕はサーフィンに行く予定だったので、誘いを断った。僕はハワイのナショナルスペアフィッシングチャンピオンでありモデル、アーティストそしてシェフである彼女とダイブするチャンスを逃してしまった。それ以来、このマウイガールをtvショウやいろんなマガジンの表紙で見かける。”起こる事には理由がある” と言うよね。yeah, このダイビングを断ったのには理由があった。もし僕がこのダイビングに行っていたら、今日このストーリーは書いていなかったからね。なぜ? 女の子を僕より深くダイブさせないから。もう彼女が出来るのを知っているけど。もし行っていたら僕はまだ海の底で気を失っていたかも。意味が分からないかな? これは男としての事だ。。。(笑)彼女には素晴らし将来が待っているはずだ。もし今度ハワイでマーメードが魚を取っているの見かけたら、それはkimi wernerかも。。。
kimiスペアリングkumu. yeah, 値段の高い魚だ。。。

FINAL DAY: DREAM TRIP!!!

今僕はsansscouci2のコーヒーテーブルに座りpadangへ帰る途中だ。最後の二日は信じられない様な日だった。昨日の夕方四時半頃、読みかけの本を読もうとベットに行った。最後の3ページその後は昼寝と思っていると、勇人が入って来て波がグットだったよと教えてくれた。今日はもう20セカンドバレルに乗れたのでサーフはおしまいと思っていたので、ディンギーを送り直して波が良かったら起こすように頼んだ。僕は眠ってしまった。10分後、ディンギーが戻って来て、”kirby,波がゴーイングオフ”だと教えてくれた。本当? 僕は半分眠りながら、とにかく向かった。水にジャンプインしたけど、あまり集中出来なかった。波は良かったけど、タイミングが外れていた。hayatoとzucchoとnumajiriがすごい20セカンドバレルに乗っている、でも僕は外側に座って、ただいい波が来るのを待っていた。サンセット、多分六時半頃だった思う。あたりは随分暗くなって来ていた。もうみんなディンギーに戻り、僕の事を待っていた。ベットにいれば良かったなとも思った。その時、大きなセットが暗闇から近ずいて来るのが見えた。僕が向きを変えると同時に、みんなが”go”と叫んだ。僕は波に乗った。巨大なバレルの中に引き込まれ、随分奥まで行き、外に出て、また中に入りを何度も繰り返し、1キロ、ハーフマイルの波に乗った。僕は暗闇に落ちて、みんなを振り返ってみた。見えるのは小さい点だけで、その点は僕たちのディンギーだった。僕の人生で一番長く乗れた波だった。どれもこれに近いものはない。
そして今朝起きてみると波がもっと大きくなっていた。僕は20セカンドバレルにのって、永遠に乗り続ずけた。それは人生で二番目にベストな波だった。mentawaiは世界で一番パーフェクトな波が来る。僕は何度もここに来た事があるけど、波は大きく良くなる一方だ。kelly slaterとandy ironsがここで長いバレルに乗るのをビデオで見た事があるけど僕たちの方がもっと長かった。もし信じられないなら、彼らをサーフィンに連れて行ったkandui surf campの人に聞いてみて。彼らも同じ事をいうよ。
僕はサーフィンをして、疲れて、ハッピーで、僕の人生を今まででないほど感謝した。この旅行を計画してくれたみんな、旅の途中で会った人たちにお礼を言いたい。。。僕たちは、新しい思い出と、新しい友達、100ページの記事が書ける10,000の写真を得た。。。stay tuned。。。
この写真を残しておくよ。。。

SURF YOUR DREAM….. GO-NAMINORI….

Okinawan "Suicide Cliffs"


これはグーグルフォトで撮った沖縄のsuicide cliffsだ。satoru-sanと9年前にこの辺の波をチェックしたのを覚えている。みんなで波をチェックしながらドライブしていた時satoru-sanがsuicide cliffsの話をしてくれた。僕が覚えているのは、楽しかったドライブが突然重い空気になった。僕にとって胸にぐっと来る一生忘れられない話だった。satoru-sanが第二次世界大戦の時アメリカ人に捕まるのが怖くてこの崖から沢山の沖縄の人たちが飛び降りたと言う話をしてくれた。それに人々が山に穴を掘ってそこで集団自殺したそうだ。gosh, とってもショックだった。そして今でも。僕はジャパニーズアメリカンとして4番目の子孫だ。アメリカ人としても誇りに思うし、僕の日本人の祖先も誇りに思う。第二次世界大戦で起こったことが僕をまだ悩ます。僕が大学でアジアの事を勉強するコースを取った時、戦争についていろいろ学んだ。僕の祖父母はその真っ直中にいた。考えてみて、日本からハワイに渡り生活し初め、起きてみると自分の国がパールハーバーに爆弾を落とす事を。それに自分の出身地の広島に原爆が落とされた事をニュースで聞いた事を。何だか考えただけでぞくっとする。僕の祖父母や曾祖父母は戦争中ハワイで大変な時を過ごしただろうに、一度も彼らから文句を聞いた事がない。彼らがただ言うことは、”戦争は悪い、みんな自分ではなくなってしまう”。。。gosh,いくらでもこの話はできるけど、9年前の沖縄の話に戻り、今考えてみると人は許す事が出来るのだなと驚かされた。昔にあった事は横に置いておいて、平等に扱ってくれる。僕が沖縄に行った時彼らととても親しい関係になれた。僕も同じ様に人に出来るのだという事を彼らから学んだ。。。
**戦争について話をするとはあんまり好きではないが、何が本当に起こったのかを知っておくべきだと思う。僕の子供たちも。日本の人たちが僕にアメリカの悪口を言う事がある。僕には理解できないけど、多分両方のストーリーを知らないのだろう。僕は運良く両方を学ぶ事が出来た。僕たちはみんな間違っていた。祖父母が言う様に。。。