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ハワイとサーフィンを旅するWEBマガジン「GONAMINORI」ゴーナミノリ
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西村優花 – Yuka Nishimura –
go-naminori
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2011年3月29日
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西村優花 1988年3月1日生まれ。16歳の時、最年少でJPBA のグランドチャンピオンを獲得。その後、東京都出身埼玉県在住のプロボディボーダーとして世界も視野に入れて活躍中。また、笑顔が素敵な元気いっぱいの キャラクターで各方面からのファンも多い。今回ボディボードマガジン「フリッパー」のカバーショットにも起用された。 スポンサー:ムラサキスポーツ、CLEAVE、ZERO ONE、RECS、FRUITION、MARIN JACK、HELM FIN 西村優花オフィシャルBLOG http://ameblo.jp/yukaina-nkmtc/ Twitter http://twitter.com/YukaNishimura INTERVIEW Q : 現在のお住まいとホームポイントはどちらですか? 埼玉県所沢市に住んで居て、ホームは、千葉県の志田下ポイントです ライディング写真:中津川 奈緒子 Q : 多くのプロサーファーがビーチの近くに住む環境の中、居住地埼玉県からホームポイントの志田下に通っている理由は何かありますか? やはり自分の家に家族で居ることに落ち着きを感じるのと、志田に通う理由はすごくパワーが集まる場所だと思うからです!うまい人が多くて刺激にもなりますしね。 Q :現在22歳になったばかりの優花さんですが、プロに転向したのはいつですか? 16歳の時です。もう6年もたつんですね。。早いです。 Q :16歳でプロに転校してから、色々な場所に波を求めてトリップしていると思いますが、今までのその経験の中で一番ヘビーだった波はどこですか? 15歳の時に行ったインドネシアメンタワイです。すごくヘビーでした。初めてリーフで怪我をした所でもあります。 Q : そのトリップの後、自分の波乗りで何か変化がありましたか? 初めての大きい撮影、トリップだったので映像や静止画で自分の姿を見て落ち込みました。私ってこんなに下手なんだって。。。笑 それから細かい所を気にして練習するようになりましたね。 Q : 現在このインタビューはハワイで行われておりますが、ハワイではどのような波乗りを心がけていますか? ハワイの波はすごくパワーがあるのでインパクトのあるライディング、波の力を使ったライディングを心がけています。 Q : ところで・・・大波は好きですか? んー行けと言われれば行きますが基本恐がりなので大波は、、、頭位なら好きですよ♪ Q : 色々な欲求だったり、物欲だったり・・・22歳となれば、色々な誘惑があると思いますが、そんな中で優花さんがボディボードにとことん打ち込める理由はなんでしょう? 様々な欲求とゆうのは誰にでもあると思うんです。私は我慢する事が苦手なので欲しい服があったり、物があれば手に入れます。遊びたかったら遊ぶのです!その中でもとことん海に打ち込めるのはプロとゆう自覚があるからだと思います。それと、そうゆう環境を自分で作っているからだと思います。なによりも私が今までやってきた事。全てが海に繋がる事であり、大きな財産として胸にあるからひと時たりとも気持ちが海から離れず打ち込めるんだと思います。 Q : 優花さんの人生にとってボディボードって何ですか? 私の全てです。私は自分がプロボディボーダーで居られる事を誇りに思います。 Q :...
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東田トモヒロ – Higashida –
go-naminori
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2011年3月29日
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熊本県出身+在住。自らのライフスタイルを昇華した「歌」のメッセージで、 自分を表現し続けるシンガーソングライター。 「LIFE MUSIC!」「歌」=「生活」。それ故、「自然」「音楽」「人との繋がり」を大切に考え、嘘のないシンプルなライフスタイルを実践する、そんな東田の人間性が、彼の魅力の一つといえるだろう。 サウンドは、先人へのリスペクトを忘れず、john lennon、bob Marley、neil young などの70年代を彷彿させるルーツミュージックに傾倒。 小さなカフェからTHE GREEN ROOM FESTIVAL、WINDBLOW、SunSet Live、 ap bank fesなどの大型フェスまで、リスナーと同じ空間をシェアできる 「ライブ」を大事に活動中。 また、そのライフスタイルの一環で、入場者一人につき1本の木を植える活動を行っているイベント「bayside camp」のコンセプトスピーカーをつとめる他、数々の自然環境保護イベントなどにも出演。 東田トモヒロのrevolve(回帰)した「歌」そして「生き方」に触れ、 そこに「未来」を見る人が増殖中。 東田トモヒロ オフィシャルサイト http://higashidatomohiro.jp/ Q : 昨年秋、リリースされた...
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ジャスミンヤング – jasmin –
go-naminori
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2011年3月29日
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身地:New Market, England ナショナリティー:イギリス系白人とアフリカ系アメリカ人のハーフ ホームタウン:Raleigh, North Carolina 誕生日:9月9日 身長:174cm 学歴:心理学博士 好きな色:ブルー 好きな食べ物:カニ 好きな飲み物:白ワイン 趣味:写真、料理、絵画、執筆、トレーニング、水泳、ランニング、自転車、サーフィン Website: www.JasminDesigns.com Blog: www.JasminDesigns.blogspot.com Email: jasmindesigns@hotmail.com Q : 海を連想させるアートワークを数々世に出していますが海から受けるインスピレーションはどんなものですか? 海が好きなのでビーチタウンに住んでいます。日本に来た時、私はファッションモデルとして東京に住んでいました。最初の印象はコンクリートと高層ビル、着物と神社。これが私が受けた印象でした。海に囲まれた島国だというのに、日本にビーチがあるなんてまったく気がつかなかった。ビキニやプロサーファー、ビーチテントなどを目にするとはまったく思ってなかった。私は波を見るだけでもビーチへ行くのが大好きです。海沿いを走ると海のエネルギーを感じます。海は自分の集中力を助けてくれる。海での生活は静かで、ここでは集中する事ができるのです。集中している時が一番クリエイティブなのです。 Q : billabong のポスターを制作されましたが苦労したことはありますか? はい、これは自分にとってとても敏感な挑戦でした。ポスターは亡くなったプロカメラマン、ワンワンさんの追悼ポスターでした。ワンワンさんは長い間、ここビーチサイドの私たちみんなの友達でした。私が13年前に一宮に来た時初めて会ったのが彼でした。彼のスタイルを表現し、日本での私たちのビーチライフと、彼の素晴らしい志田下のショットを使い何かをクリエイトしたかったのです。私にとって最もデザインの挑戦であり、最も楽しかったデザインでした。 Q :日本に来たときのカルチャーショックを教えてください。 主に2つのショック。1つは私が生のマッシュルームをサラダに入れて食べる事をびっくりする日本人の友達。生のレバーや生の鶏肉、生の牛タンや生卵を食べる人達から、”えっ、生のマッシュルーム食べるの?気持悪い!”と言われるのは未だにとても変だと思います!それから和式トイレにもショックを受けました。どうやって使うのか解らなかった(ほとんどの外人は解らないはず)。日本での最初の年は逆向きに使っていました(洋式のように後ろ向きに、そしてどうやって流すのか困惑しました)。やっと女友達が後ろ向きにならずトイレに向かってしゃがむと説明してくれました。これは私のショックな体験でした。今でも和式トイレは好きではありません。 Q : サーフタウン千葉に暮らしていますが、千葉の良いところを教えてください。 私が住んでいる所は日本の南東でも名うての一定したサーフブレイクです。世界のプロサーファー達が波をチェックしに来ます。ブラジル、バリ、南アフリカ、オーストラリア、イギリス、フランス、ハワイ、そして私のホームカントリー、アメリカから来たプロ達と会いました。リーフも無く、砂がほとんどの沿岸は私のような初心者サーファーでも結構安全。波のコンディションが一定している事から夏にはサーフィンとビーチイベントでよく知られています。太東はサーフタウンフェスタというサーフィン大会が有名です。太東ビーチで毎年開催されるイベントです。このイベントの楽しみはサーフィンコンテストが主ですが、安全性や救助、ビーチクリーンなどのビーチライフにとって大切な事を教えるのを焦点に置いている点です。 Q : サーファーという人種をどう思いますか? サーフィンは個人スポーツです。個々が水の中でチャレンジする。サーファー達が自分のゴールに向けてサーフする。挑戦と決断力によって良いサーファーとなる事が、海とそれ以外の場所でも通用する個人の特性となるのでしょう。 Q : 現時点でも理想的なライフスタイルを確率していますが今後の夢を教えて下さい。 私は日本居住というあまり旅をしない道を選び、それは私の中で違いを生みました。文化の挑戦から常に刺激を受け、自分の人生に平穏を感じます。私にとってこのような尊敬すべき平和な社会に住む事は究極の体験です。私は2001年10月2日に主人Brett Alexander Youngを車の事故で亡くしました。日本人から学んだ事は、私が主人の死という強烈な痛みから現在の新しい人生での幸せを感謝できるようになった事を可能にしてくれました。それが私が日本に残って住んでいる理由です。私は「Memoirs...
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キャット – kat –
go-naminori
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2011年3月29日
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出身地:東京都 国籍:日本 ホームタウン:ニュージーランド 誕生日:1984年1月7日 身長:168cm 学歴:Bachelor of Performing Arts 好きな色:ブルー、シルバー 好きな食べ物:焼き肉、ストロベリーショートケーキ、フルーツ 好きな飲み物:Baileys、梅酒 趣味:サーフィン、youtubeビデオ制作、コンサートを見に行く事 Website: www.KatMusic.jp Blog - http://blog.sideriver.com/kat/ Myspace - http://www.myspace.com/katmcdowell YOUTUBE - http:// www.youtube.com/katmcd0well Q : とても美人ですがニューランドと日本のハーフだそうですね? ありがとう!そう、母は日本人で旅行が大好き。英語を学びたくてニュージーランドへ旅行に行き父に出会ったの。母が日本に帰る時、父も一緒に日本に来ちゃった。二人は結婚し私はここ東京の外れの池袋近くで生まれたの。私が5歳の時、みんなでニュージーランドに戻ってそこで私は育ったよ。 Q : 音楽が大好きなようですが、音楽に興味を持ったのはいつ頃ですか?そしてミュージシャンになろうと思ったのはいつですか? いつも音楽には興味があった。でも7歳の時に私の人生で重要な出来事があったの。母のレコードを聞いていたらイルカさんのを見つけて。イルカさんは日本のフォークシンガー。イルカさんが観客の前で演奏してる姿を想像できた。そしてその時これが私のやりたい事、ミュージシャンになって観客の前でパフォームしたいと思ったの。 Q : ニュージーランドは素晴らしい所ですが、日本のどこに惹かれてここに戻ってきたのですか? 私はいつも日本が大好きで、ニュージーランドにいた時もとても日本が恋しかった。私は日本国籍でビサを取るのは結構簡単だったし。若い時から日本の友達と連絡を取ってたくさんの素晴らしいコネクションがあったの。渋谷の仲良しの友達の所にステイしたり。セッションシンガーとしてスタートして、テレビコマーシャルやライブをしながらレコード会社探しをしてた。最初に大変だったのは自分の日本語力に限りがあって読み書きが出来なかった事。どうしたらいいのか誰もわからなかったの。とってもストレスを感じて2週間くらい具合が悪くなっちゃって。あきらめそうになったけどもう少しがんばろうと思ったの。2週間後、エージェントと出会えた。 Q :...
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勝又 正彦 - katsumata –
go-naminori
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2011年3月29日
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1963年1月26日生まれ、46歳。 主なスポンサー/インセーンサーフボード、クゥイーバーウェットスーツ、ハーレー、ブラックフライ、ヴァンズ、ヴェスタル、ゴリラグリップ、FCSなど。 面白いことをやり続けています。 カッコいいサーファーはいくつになってもカッコいい。勝又まさひこもその一人。派手で人の目をひきつけるトリッキーでアグレッシブなサーフィンアクション。サ ーフスケートをやらせればテクニックとスタイルは超一級。しかもクリエイティブな才能もピカイチで、グラフィック、ファッション、そしてサーフボードシェイ ピングと、どれもが素晴らしく個性的でカッコいい。サーフィン歴はもうすぐ30年。面白いことをやる。勝又正彦のかっこよさはシンプルだった。 Q : 今年で何歳になったんですか?サーフ歴は? 今年の1月で46歳になりました。サーフィンは17歳の夏からだから29年目ですね。 Q : 小学校時代はどんな子供だったんですか? 運動は得意でローラースケートは学校でトップ。だけど実は人見知りで、話し下手で、人とのコミュニケーションが下手なんですよ。幼稚園時代は近所の兄ちゃん達の後をついていって田んぼや空き地で遊びながら、ローラースケートではホイップでブンブン飛ばされて鍛えられてたんで、小学校ではすぐに上級生を押しのけるようになってた。でも物を作るのも好きだったんですよ。プラモデルが好きで6年生にはラジコンまで手を出し、飛行機は失敗して壊したりお金もかかるからしなかったけど、かわりにバギーを辻堂海浜公園の芝生で走らせてた。同じ公園の中の池では潜水艦が浮かんでこなくなったり、軍艦とかも沈めましたね。ドイツ軍の戦車とかでジオラマも作ったし、自転車でチョッパーも作った。ハンドルとフロントフォークがグーンと長いヤツ。当時は自転車をそんなにイジル奴はいなかったから、自転車屋には嫌われたみたいで空気入れを貸してもらえなかったけど、自分では誰もやっていないカッコいい感じが大事だった。人と同じは嫌。かっこよさにこだわっていた。 Q : ホイップされてブンブン。凄いですね。小学生時代のローラースケートで加速とAirの魅力を知ったんですね。それでサーフィンはいつ頃からなんですか? 高校3年生の夏休みから一気に(笑い)。中3からスケートボードに夢中だった。高3になった時くらいからスケートパークが閉鎖になったりして、スケートボードが下火になってきてたんで、次はサーフィンだと一気に方向が変わっちゃった。面白そうだったし、その当時、一緒にスケーターだった地産ローカルの金沢さんの所に行けばサーフィン出来るというのを知ってからは毎日金沢さんの家に入り浸り。金沢さんはファンキーで面白い人で、タイドサーフのマンションがあった、潮路の裏に住んでた。夏が過ぎた頃には乗ればどうにかなるまでにはなったけど、最初は波に乗れないから苦労した。当時の上手い先輩ローカルの皆さんには、いじめられましたけど(笑い)。サーフィンの難しさにのめり込んでいったという感じかな。 Q : プロコンペティターとなってからは、JPSAトップシードでずっと活躍しました。低めに構えてドギューンとカービング&リップする姿が目に焼き付いてます。 プロ合格については長い話になるよ。20歳の時に四国の生見で開催された第19回NSA全日本選手権で1stクラスで優勝して、次はプロだと。その次の年に鵠沼で行なわれたプロテストに狙って出たんですけど、力が入り過ぎて、いい波をキャッチできずに空回りで失敗しちゃった。この時の鵠沼は波が最高で、他の仲間はいい点を出しまくって、俺を除いて20人ぐらい一気に合格した。俺だけ一人おいてけぼり。悔しかった。それで次の年にようやく合格。さすがにホッとしました。で、26歳の時に、ドロップアウトの工場で働いていた友達の天野君の紹介でドロップアウトのライダーになったんです。当時のドロップアウトは糟谷修自さんとシェイパーの阿部さんがタッグを組んでシェイプデザインをどんどんチューンアップし続けていて勢いがついた時だから、そこに加われて俺にもグッドボードが回ってくるようになって、いきなり調子よくなった。波乗りが変わった。そう皆に言われた。そうなると、もっとやってやろうと気合いも入って、気持ちもリズムに乗ってきた。そうしたらランキングもうなぎ上り。最高位はトップ5だったかな。 Q : アクション重視のサーフィンセンスは当時でも充分輝いてましたもんね。しかもサーフィンだけじゃなくて、サーフスケートでは日本屈指の存在だし、さらにファッションリーダーであり、絵やエアブラシアート、シェイピングなど、何でもこなす。器用ですよね。 自分の中のアートな部分はスケートに染まりだした頃に聞きまくったパンクとニューウェイブの影響ですね。パンクだとチェーンとかあるけど、海に行く時は外したりして、その代わりに青の水玉や虎刈りで決めるみたいな。ファッションは気に入ったアイテムを見つけるのが難しかったけど自分で考えるのがいいんです。スケートは陸上のスポーツなんで服を着るからファッションも決めなくちゃ。絵はポップアート的なテイストが好き。カチッとしたかたい感じより自由な絵が好きですね。 Q : スケートの楽しみ方はかわりましたか? 今はスケートパークとかやる場所が増えたんで楽しいよね。それにどんどんレベルアップしてるよ。若い奴らのトリックに負けそう。俺の技にもう一つかぶせてきたりする。でも湘南に自慢できるようなパークがないのは寂しい。地方に行くと自由で大きく面白いパークが出来てる。ボウルとかスロープとか工夫してバリエーションが楽しめるパークを考えて欲しい。波乗りは波が動くけど、スケートは波が動かないんで反復練習が出来る。だからトレーニングに最適なんです。動きがオーソドックスになっては自分で面白くないし、やはりそこはトリッキーに攻めていきたい。実際にそうやってる方がおもしろいんだから。そうした方が見てる方も面白いでしょう。 Q : シェイパーでもあるわけで、インセーンサーフボードをプロデュースしてる。 19歳の時にマーボロイヤルに所属していて、その時にマーボさんと一緒にシェイプルームに入って、テイクダウンとか手伝いをさせてもらいながら、いろいろな注文を聞いてもらってた。マーボさんだけじゃなくて畑さんもいて、どんなことでも細かく自分の言うことを聞いてくれました。物作りが好きだから考えつくかぎり、突拍子もないデザインをわがままいっぱいに作ってもらった。フィンもいろいろなパターンを作った。スケート仲間がエアブラッシャーだったからデザインもこってくれた。マーボロイヤルを辞めた後はホクレアの林さんに世話になり、道具やデザインコンセプトの大切さを学ばせてもらった。とくにロッカーテンプレートの作り方を習ったことでボードディメンションの違いが一目でわかるようになった。次にはザナドゥのシェイプにも驚かされた。アウトラインが左右違うけど速いし動くんです。ロッカーとボトムの造りの素晴らしさが勉強になった。ドロップアウトでは阿部さんを筆頭に、JC、ペーシュ、サドイ、ピーターと、たくさんのグッドシェイパーのボードに乗ることで世界レベルを知ることが出来た。 Q : インセーンサーフボードはどんなコンセプトでプロデュースされてるんですか? デッキコンケーブと大きいウィングラウンドのアウトラインが最大の特徴で、バリエーションとしてウィングバットテイルとバットテイルの2タイプがあるんです。アウトラインを広めに作ってもデッキコンケーブで余分な浮力は削り取ってあるんで敏感に動くし、レイルに浮力が残っているのでパドリングがスムースでテイクオフも早い。それにデッキコンケーブに足がはまってエアリアルやリッピングのスタンスが決まるだけじゃなくて、てこの原理でレイルに力が入るからちょっとした動きでレイルを使いやすい。若い子と海の中で張り合うにはスペシャルな道具でやるしかない(笑い)。いいサーフボードならばサーフィンやる気出るし、波が小さくても乗れる板があればサーフィンするでしょ。いい板を作っていきたい。 Q :...
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